長岡宮内裏から脇殿跡
向日市埋文センター 建物配置 明らかに
向日市埋蔵文化財センターは5日、同市鶏冠井町東井戸の長岡宮内裏跡から、脇殿と見られる遺構が初めて見つかったと発表した。政治の中枢部だった内裏の建物配置がほぼ明らかになり、調査を担当した梅本康広・市埋蔵文化財センター主任は「桓武天皇が政治を行った空間レイアウトがようやく見えてきた」としている。
■朝堂院の機能持っていた?
調査は、遺跡の範囲確認のため今年6月から実施。掘っ立て柱の跡が6カ所見つかった。その配置や間隔などから、東西21メートル、南北6メートルの大型建物があったとみられる。桓武天皇が執務した内裏正殿跡から南東約20メートルに位置し、長岡宮内裏の遺構では正殿に次ぐ大きさという。
長岡宮内裏については建物配置の文献史料がなく、1966年からの発掘調査で、内裏正殿や築地回廊跡など大半の建物の位置が確認された。しかし脇殿は未確認だった。
平安宮や、平安京への遷都直前に桓武天皇が住んだ仮内裏「東院」では、脇殿は正殿の左右に各2棟あったとされ、長岡宮も計4棟あった可能性が高い。また、他の宮の脇殿は南北棟で、今回のような東西棟は例がないという。
脇殿は、平安中後期には天皇家の財産を収蔵したことが文献で分かっているが、長岡宮での機能は不明。桓武天皇は長岡京時代、執務の場所を(現在の国会議事堂にあたる)朝堂院北側の大極殿から、内裏正殿へ移したとされ、梅本主任は「長岡宮の脇殿は従来の朝堂院の機能を持っていたのではないか」という。
現地説明会は8日午前11時から、現場近くの大極殿公園南側広場で開く。
【 2009年08月05日 22時14分 】







































