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新村出没後50年

 滔(とう)々と流れる光景は京の歴史そのもののようだ。寒風吹く鴨川べりを歩くと、川面が陽光に輝き、水音は街の喧噪(けんそう)を忘れさせた▼この人も鴨川に心を寄せた。「愛水」と号して歌を詠む。<わか愛を注ける鴨の川波の永久に静けく逝(ゆ)くか嬉(うれ)しも>▼没後50年を迎えた新村出(しんむらいづる)である。「広辞苑」の編者、と言えばお分かりだろう。京都帝大教授で言語学者だった新村は辞書「辞苑」の編集を担ったが、戦局の悪化などで改訂は頓挫。戦後に岩波書店が引き継ぎ、広辞苑として刊行した▼公開中の新村の旧宅(京都市北区)を訪ねた。改訂のためびっしりと付箋を貼った原本、項目の書き込みや用例見直しの跡に辞書づくりの苦労がにじむ。900冊に及ぶノート類もあり、「銀杏(いちょう)志」と書かれた7冊には銀杏の語源、古典や伝説、意匠について詳しく記す▼新村が残したものには校歌もある。知人の依頼を受け、嵯峨野高校歌の作詞を手掛けた。<諸人(もろびと)の世々培へる営みの息吹きぞ深し…>。古風な五七調の詞章は、人の世の長い歩みを思う一文を中心に置く▼「祖父は自然を愛し、人間が生きた跡としての言葉を愛した」と孫の新村恭さんは言う。愛情と信念を持って言葉に向き合い、その深みを探求する。私たちが日々触れる辞書は、そんな先人の軌跡でもある。

[京都新聞 2017年12月16日掲載]

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