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(28)関西鉄道大仏線(木津川市・奈良市)

9年の命、やぶの中に
石積みの鹿背山橋台。やぶを抜けた先にひっそりと120年前の姿を残していた(木津川市加茂町観音寺)
石積みの鹿背山橋台。やぶを抜けた先にひっそりと120年前の姿を残していた(木津川市加茂町観音寺)

 明治期のわずか9年間のみ存在した路線が京都府南部にある。有力私鉄の関西(かんせい)鉄道が奈良進出の足がかりの路線として建設したが、奈良一帯の路線買収に成功した後、廃止とした。やぶの中と新興住宅街を歩き120年前の路線跡をたどった。

大仏線の線路跡は道路に転用されていた(木津川市鹿背山)
大仏線の線路跡は道路に転用されていた(木津川市鹿背山)

 木津川市の加茂駅から奈良駅(奈良市)までの約10キロを結んでいた関西鉄道大仏線。大仏鉄道の名でも知られる。始点の加茂駅構内の観光案内所には、廃線跡探索のモデルコースを記載した「幻の大仏鉄道遺構めぐりマップ」を置いている。マップを手に出発した。

 モデルコース沿いには所々標識があり迷いにくそうだ。コースは途中で二手に分岐する。線路沿いには道がないらしく、両方とも大きく迂回(うかい)している。

 ルートは畑の中を行く。「まむしに注意」の看板があった。しばらくすると人家が途切れた。道が合っているのか不安になったが、突然右手に石積みの遺構、観音寺橋台が現れた。

 続く標識は竹やぶの中の道を指している。道はぬかるんでいる。木々が頭上を覆っており暗い。風が吹き、木の葉がすれる音のみが響く。まったく人けがない。動物が出て来そうなほどだ。とにかく早く抜けようと足早に歩く。すると鹿背山橋台の遺構があった。写真を撮り歩き出す。しばらくすると人家があった。ほっとした。

松谷(松谷川)隧道建設時を収めた写真。現在は新興住宅地の一角にある=木津川市教育委員会提供
松谷(松谷川)隧道建設時を収めた写真。現在は新興住宅地の一角にある=木津川市教育委員会提供

 明治中期、各地で私鉄が起こり多くの路線を敷設した。草津市から旧東海道沿いに名古屋までを結んでいた関西鉄道もその一つだ。1897(明治30)年、同社は三重県側から加茂までを開通させ奈良進出を目指す。

 折しもこの時代、鉄道を使っての社寺参詣がブームになっていた。当時の新聞を見ると奈良鉄道(現JR奈良線)や京都鉄道(現山陰線)が神社参拝客への割引の広告を載せている。

 関西鉄道も98(明治31)年4月の加茂-大仏間開業時の広告で「大仏駅は奈良市の中部大仏殿に接近す」と東大寺大仏殿(奈良市)への近さをアピールした。「大仏線」や「大仏駅」の名は参詣需要を掘り起こす狙いがあったのだろう。

 大仏線はその後、奈良駅まで延長した。関西鉄道はさらに湊町(現JR難波)-奈良の大阪鉄道や奈良鉄道を買収。大仏線は自社路線と並行するため不要となり、1907(明治40)年に廃止された。

現在も残る松谷(松谷川)隧道。建設時と変わらない雰囲気を残す=木津川市梅美台2丁目
現在も残る松谷(松谷川)隧道。建設時と変わらない雰囲気を残す=木津川市梅美台2丁目

 やぶを抜けてしばらく歩くと軽自動車の幅ほどの道があった。かつての線路跡らしい。大仏線が走っていた当時を想像しながら歩く。城山台と呼ばれる新興住宅地の東端を進み、さらに梅美台という住宅街に差し掛かった。開発された地域の一角にも「松谷(松谷川)隧道(ずいどう)」というトンネルが残っていた。奈良市は目前だ。

 後日、木津川市役所を訪れてモデルコースについて聞いた。「あのやぶの中に線路跡がそのまま残っています」と市教育委員会の芝野康之さん(66)。誰の目にも触れないまま、120年前の鉄路跡が眠っている。

関西鉄道大仏線

関西鉄道大仏線

 1898(明治31)年に加茂-大仏間が開通。その後99年に奈良まで開業した。赤色の「電光号」という蒸気機関車が走ったという。「関西鉄道史」によると加茂-大仏は20分前後を要した。城山台付近から奈良までは道が整備されており歩きやすい。

【2018年06月08日掲載】