京都新聞TOP > 夢幻軌道を歩く
インデックス

(24)京都市電稲荷線(京都市伏見区)

京阪と交差、数度事故も
東から望んだ稲荷線と京阪の平面交差地点(京都市伏見区)
東から望んだ稲荷線と京阪の平面交差地点(京都市伏見区)

 京都駅から伏見稲荷大社(京都市伏見区)に公共交通機関で行く際、どのルートを使うだろう。かつては京都市電稲荷線という選択肢があった。京阪本線と平面交差し、数度の事故もあった。軌道跡を探して外国人観光客でにぎわう同大社付近に向かった。

1968年当時の平面交差地点を通過する京阪の電車。しばしば事故が起き、危険視されていた
1968年当時の平面交差地点を通過する京阪の電車。しばしば事故が起き、危険視されていた

 稲荷線は勧進橋-稲荷間の約700メートル。伏見区にある竹田街道の稲荷新道交差点付近で市電伏見線から分岐し、ほぼ直線で東側に延びていた。1970年に廃止され、市道と公園になっている。
 勧進橋停留所があった稲荷新道交差点付近から東へと歩き出す。「京」という字にレールの形を組み合わせた交通局章入りの境界くいを見つけた。市電時代の遺物らしい。

 市道は片側1車線でほぼ全区間、両側に歩道が付いている。東高瀬川を越えると、「ホテル予定地」と書かれた広大な更地が見えた。そういえば、近くにも真新しいホテルがあった。大社参拝の外国人の利用を見込んでいるのだろう。

 沿道で酒店を営む川上勲さん(73)は約50年前、2階から電車が見える線路際の土地を購入した。「市電がなくなり京都駅に行くのが不便になった。もう一度、市電が走ってくれるといいんだけど」と語る。

現在の市電稲荷線跡。市道上を外国人の団体を載せた大型観光バスが頻繁に通る
現在の市電稲荷線跡。市道上を外国人の団体を載せた大型観光バスが頻繁に通る

 市道にはひっきりなしに大型観光バスが走る。近くに伏見稲荷大社のバス駐車場があり、外国人の団体が乗り降りしていた。半世紀ほど前、市電が走っていた通りは今や、観光バスの専用道かと見まごうほどだ。

 師団街道を越えると、京阪電車が走る音が近づいてくる。師団街道と京阪本線の間の軌道跡はそのままの形状で公園になっている。公園北側の路地を歩くと、頂上部が擬宝珠(ぎぼし)のような市電の電柱を見つけた。

 さらに東側は建物があってよく見えないが、かつて稲荷線は京阪と平面交差しJR奈良線のそばまで延びていた。

 伏見稲荷大社は古来、京都市民の信仰を集めた。1895年、京都駅-伏見下油掛間に日本初の営業用路面電車として京都電気鉄道伏見線が開通。1904年には同鉄道稲荷線が開通し、多くの参拝者を運んだ。両線は後に市電となった。

 10年、現在の清水五条(東山区)と天満橋(大阪市)を結ぶ京阪本線が開通した。この際、先に開通していた稲荷線と平面交差することになった。

 34年には京阪と稲荷線の電車が衝突し2人が死亡した。当時の新聞によると京阪開業後、衝突事故は5件目。この頃、高架や地下化が検討された。以降、事故は起きなかったが68年2月8日付の京都新聞には、京阪が1日に567本走行しており危険だとして平面交差廃止を訴える市民の声が載っている。しかし同時期、マイカー普及で市電利用者は減少。70年に稲荷線は廃止された。

 京阪から東側に100メートルほど行ったJR奈良線の手前が終点の稲荷停留所跡だ。琵琶湖疏水の橋上で、コンクリートの下から往時のレールが顔をのぞかせていた。

 帰路、「稲荷大社前」バス停前を通った。寒風の中、京都駅行きバスを待つ行列があった。稲荷線復活を望む川上さんの言葉を思い出した。

市道稲荷勧進橋線の沿道に残っていた交通局章入りの境界くい
市道稲荷勧進橋線の沿道に残っていた交通局章入りの境界くい

京都市電稲荷線

京都市電稲荷線

 京都電気鉄道稲荷線として開業した。市電だが、約700メートルの全区間が専用軌道で、民家2階程度の高さの土盛り上を走っていた。軌間1067ミリで開通したが、ほかの路線とともに1918年に京都市に買収され、軌間1435ミリに改築された。京都駅前から直通の系統があった。

【2018年02月09日掲載】