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こばやし・かずひこ 1960年、栃木県生まれ。慶應義塾大大学院修了。専門は日本古典文学。著書に『続拾遺和歌集』ほか。2006年より京都産業大図書館長。

小林 一彦氏 幸福定義ただす長明の視点

 残暑という言葉がおよそ似つかわしくない猛暑のなか、下鴨さんにお参りに出かけた。糺の杜を吹き抜ける厳かな涼風に、心が洗われる思いがする。
 「源氏千年紀」の盛り上がりは記憶に新しいが、再来年は鴨長明が『方丈記』を書いてから、800年の記念の年にあたる。「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。有名な書き出しではじまる随筆は、日本が世界に誇る名作といってよい。
 長明は鴨社全体を統率する禰宜(ねぎ)の家に生まれた。当時の有力寺社は全国に荘園をもつ大地主であったから、富貴の家に育ったことになる。だが、父が早世したことも災いして、新興勢力である平家一門の栄達と対照的に、晩年はついに旧宅の百分の一という方丈の生活にまで零落する。しかし、世俗を超脱し自然を友とする長明の精神生活は、「ただ閑かなるを望みとし、憂へなきを楽しみとす」と、きわめて穏やかで、現代人に幸せとは何か、を考えさせずにはおかない。
 この時代は、文学史上の巨匠が輩出している。西国へ落ちてゆく平忠度から、勅撰(ちょくせん)集を編む機会があったら一首でも入れてほしい、と歌集一巻を託され、朝敵となった門弟の歌を「よみびとしらず」と隠名で入集させた歌人、藤原俊成。清盛と同じ年に、かたや藤原秀郷流の武門の家に生まれながら、約束された未来に目もくれず、若くして出家遁世(とんせい)し、旅と詠歌に生きた西行法師。そして『方丈記』で荒廃する平安京や新都の福原を、また別の作品では「福原入道」として清盛の知られざる一面を、活写した長明−。
 来年の大河ドラマは『江〜姫たちの戦国〜』である。夏休みに湖北地方へ出かけると、すでにおみやげが売られていた。撮影も開始されたと聞く。いっぽう再来年の『平清盛』は、キャスティングもこれからだそうだ。長明や俊成、西行たちが清盛の生涯をどう見ていたのか。鋭い観察眼をもつ彼らの誰か一人を、ナレーター、進行役として登場させるのはどうだろう。天変地異と戦乱の続いた激動の時代、平家一門の栄華と悲劇が、新しい視点から生き生きと浮かび上がってくるのではないか。
 そんな想像をしながら、糺の杜を歩くのは楽しい。方丈の庵の復元されている河合社など、長明ゆかりの遺構をたずねていると、暑さもしのぎやすく感じられてきた。
(京都産業大教授)

[京都新聞 2010年09月05日掲載]

2010年
  • 小林 一彦氏 幸福定義ただす長明の視点
  • 中村保幸氏 ユダヤの母に学ぶ“教育”
  • 伊藤公雄氏 越境する自由な学風 継承を
  • 佐藤敬二氏 産学が「紡」ぐ新デザイン
  • 小林 隆彰 氏 きょうを考える お盆の意味
  • 鎌田浩毅氏 科学を市民に伝える挑戦
  • 井上隆雄氏 ガラス板写真は歴史の証人
  • 河田悌一氏 大学の「知」象徴 図書館に転機
  • 川添信介氏 政治的手段の学問に異論
  • 渡辺信一氏 図書館理念の実体化願う
  • 渡辺武達氏 「対話」できる選良 識別を
  • 坪内成晃氏 大学に欲しい駅弁の「妙」
  • 高野澄氏 王政復古 影に式部の神道
  • 芳井敬郎氏 京が示す「柔軟性」の快適さ
  • 笹岡隆甫氏 四季守る 伝統文化から発信
  • 園城三花氏 和洋楽器の伝統 思い馳せ
  • 山崎芙紗子氏 京に息づく「ほんもの」
  • 宗像衣子氏 「遅さ」がはぐくむ文化の厚み
  • 内田奈織氏 ハープで伝える夢の力
  • 片山一道氏 人骨が語る 往時の寿命
  • 村山明氏 「不忘初心」日々創作の努力を
  • 安永祖堂氏 多様な教育 共存する街に
  • 渡辺武達氏 強者の「奢り」と弱者の「心理」
  • 井上章一氏 宇治見下すヤジ 不快
  • 井波律子氏 心穏やか 花のある日々
  • 西村惠信氏 「縁」なくては「人」成り立たず
  • 山崎正史氏 合併で旧町の個性失うな
  • 新木直人氏 京の文化力のもとい
  • 稲垣耕作氏 「滅びの論理」克服の道は
  • 深見茂氏 文化過剰の京都での生き方
  • 小林明氏 個の確立へ芸術体験不可欠
  • 黒川光博氏 職人育成 仏を見習うべき
  • 山田能裕氏 新たな時代へ自浄努力を
  • 2009年
    2008年
    2007年
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