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究める山鉾

頂く「長刀」生稚児が幕開け

稚児による注連縄切り。大屋根の彫刻や金工品、胴組の懸装品が長刀鉾を彩る(2014年7月17日)
稚児による注連縄切り。大屋根の彫刻や金工品、胴組の懸装品が長刀鉾を彩る(2014年7月17日)
稚児と禿(かむろ)を撮影する報道関係者ら。3人の小学生の前に「カメラの壁」ができた(16年6月4日、京都市下京区・長刀鉾町会所)
稚児と禿(かむろ)を撮影する報道関係者ら。3人の小学生の前に「カメラの壁」ができた(2016年6月4日、京都市下京区・長刀鉾町会所)
宵山期間中、会所の2階に豪華な装飾品が飾られる(15年7月16日)
宵山期間中、会所の2階に豪華な装飾品が飾られる(2015年7月16日)

 祇園祭の前祭(さきまつり)の山鉾巡行(7月17日)で常に先頭を進む長刀鉾(京都市下京区四条通烏丸東入ル)。厄よけちまきの売れ行きを含めて、その人気ぶりは、他の山鉾からジェラシーの声も聞かれる。

 鉾を守る長刀鉾保存会は、17世紀初頭に中国近辺や17世紀半ばのインドなどからもたらされた舶来の装飾品などを多数所蔵するだけではなく、見送(みおくり)や胴掛(どうかけ)など懸装品(けそうひん)の新調を怠らない。大屋根の破風(はふ)の彫刻、天井の銀鋲(ぎんびょう)による28の星座、漆塗りの欄縁(らんぶち)の金具などは名品がそろう。

 山鉾の中で、四条通の最も東に立てられる。長刀鉾が動かないと、山鉾は四条通を東進できない。だから、長刀鉾は「くじ取り式」(7月2日)でくじを取らない。あらかじめ順番が決まっている「くじ取らず」だ。

 鉾の2階には、囃子(はやし)方とともに、生きた子どもによる「生稚児(いきちご)」が乗る。他の鉾では、1839(天保10)年に函谷(かんこ)鉾が稚児を人形に代えて以降、「稚児の人形化」が進み、1929(昭和4)年に放下鉾の稚児が人形になってから、生稚児を乗せるのは長刀鉾だけとなった。稚児は毎年6月上旬に発表される。7月に入ると、お千度の儀(1日)、吉符入り後の太平の舞披露(5日)、社参の儀(13日)、前祭巡行の始まりを告げる注連縄(しめなわ)切り(17日)と行事が続く。

 2階建ての鉾の中心には、真木(しんぎ)と呼ばれる長い棒が取り付けられる。長さ約22メートル、7階建てに相当するのだ。先端の「鉾頭(ほこがしら)」には長刀が設置される。初代の長刀は、平安時代に三條小鍛冶(こかじ)宗近が打ったことから「宗近(むねちか)」と呼ばれる。現在は失われていて、その後、室町時代に三條長吉による「長吉(ながよし)」、さらに江戸時代に和泉守藤原来金道による「来金道(らいきんどう)」が作られた。かつては、真木の先端に真剣を取り付けていたのだ。重くて巡行中に真木が揺れて危険なことから、1837(天保8)年から竹製の長刀を鉾頭に使用している。長刀鉾は四条通の東向きに立てられ、鉾頭の長刀の刃は必ず南を向ける。東の八坂神社、北の京都御所を避けるためという。

 昨年、「長吉」と「来金道」を間近に見せてもらった。「長吉」は漆塗りの豪華な鞘(さや)に収めたまま。神聖なものとして扱われ、「見たら目がつぶれる」との言い伝えも。鞘を抜くよう提案してみたが、保存会の関係者はためらって応じなかった。「長吉」で背中をさすると厄除けになるといい、清祓いのときには「おさすりの儀」が行われる。「来金道」は、宵山期間中に会所に飾られる。

 巡行では、生稚児による「注連縄切り」が巡行の始まりを告げる。現在は四条通麸屋町で行われているが、巡行ルートが変わった1956(昭和31)年には、寺町通四条で行われたという。

【2016年6月8日付京都新聞朝刊掲載】

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