京都新聞 こころのわ きづく つながる ささえあう

子どもたちの元気のために、子どもたちの笑顔のために、子どもたちの未来のために、子どもたちの可能性のために、支え合うことのできる豊かな社会。たとえそれが理想だとしても、粘り強く目指していきたい。児童虐待件数は7万件を超え、小中高校でのいじめの認知件数は20万件に迫るという無視のできない現実。そんな現代社会だからこそ、人とのつながりの中に生まれる豊かな関係性が、傾きかけた子どもたちの心の支えになる。「きづく つながる ささえあう」、そんな温かい「わ」が、静かに、そして確かに広がる社会。社会に、大人に、自分自身に問いたいキャンペーンです。

思いやりは未来です。

京都新聞創刊135周年

子どもたちの心のきしむ音が聞こえていますか

子どもたちの居場所

石塚かおる

京都児童養護施設長会 会長

児童養護施設、 何らかの理由で親と一緒に暮らせない子が、 家庭の代わりとして暮らす施設です。 最近では虐待による入所が増えています。 施設に暮らす子どもたちから、 私たちは大切なことを日々学んでいます。
母親の放任で入所したAちゃん。 おやつの桃を冷蔵庫から取り出した時、 Aちゃんが駆け寄って来て桃をそっとなでながら、 「これが桃なんや~。 かわいい!」 としばらく見つめていました。 Aちゃんは、 桃を初めて見たのです。 果物はむいたり切ったり手間がかかるものなので、 放任の家庭では食卓にあがることが少ないのです。 子育ては手間のかかることなんですが、 その手間をかけなくなっているのです。 母の服役で入所してきたB君。 元気な子だったのですが、 突然学校に行かなくなりました。 学校の先生と一緒に話を聞き、 やっと彼が言ったのは 「僕は今までお母さんと一緒に暮らしてきて、 とっても大変だった。 いつかお母さんが出てきたら、 きっとお母さんと一緒に暮らすだろう。 でもまた、 とっても大変な生活になると思う。 だから、 頼む。 今だけ休憩させてほしい」。 不登校の理由はさまざまです。 その子どもの本当の声を聞ける大人でありたいと思うのです。
両親のいないC君。 自分に自信がなく、 周りに流され、 非行を繰り返していました。 「どうせ俺なんか死んでも誰も悲しまねえから…」 が口癖、 自暴自棄になっていました。 できるだけ一緒にいる時間を作り、 応えられる要求にはできるだけ応えるという生活を重ね、 やっと落ち着き始めたC君に、 なぜ落ち着いたのか聞いてみました。 「俺のことをかまってくれたのが良かった。 俺は母親ってのを知らないけど、 母親ってのはこういうものかなと思った。 俺はいつも居場所を探していた。 どこにいても、 俺はここにいていいのかなって思ってた。 でも、 こうしてかまってくれることで、 俺はここにいていいんだと初めて思えた」。 子どもたちは居場所を探しています。 その居場所というのはスペースのことではなく、 子どもの本当の気持ちを聞くことのできる関係そのものが居場所なのだと思うのです。

石塚かおる(いしづか・かおる)

1960年、鹿児島県生まれ。大学卒業後、児童養護施設つばさ園に児童指導員として就職。主任児童指導員を経て2007年に施設長に就任。ノートルダム女子大・龍谷大非常勤講師。13年 「子どものニーズをみつめる児童養護施設のあゆみ」(共著)出版。15年より京都児童養護施設長会会長を務める。

被害者と加害者の心を救いたい

島田妙子

兵庫県児童虐待等対応専門アドバイザー

「誰か、 うちのお父ちゃんの心助けて!」
実の父と継母からの壮絶な虐待を6年間受け続けた私は、 子どもの頃、 心の中でずっとそう叫んでいました。
「叩くつもりじゃなかったのに叩いてしまったあの時、 叩いてしまったという情けなさ、 惨めさで心の中が張り裂けそうになった。 本当は 『ごめん』 と言うつもりだったのに、 『もう私のことを鬼やと思ってるはずや』 と自分の心に落とし込んでしまった。 だからその直後に視線が合ったアンタに 『なんやその目は、なにか文句あるのか』 と、 上塗りの言葉が出てしまった」。 虐待をした継母が、 大人になった私にぽつりと言った言葉です。
その日から毎日のように精神的な虐待や暴言、 暴力が始まりました。 「これはしつけや」 この言葉を加えるしかなかったのです。 父の前でも虐待をするようになった継母は、 父が仕事から帰ってくると見せしめのように 「しつけ」 と称してたばこの火を押し当てました。 そして父にも暴力を強要するようになったのです。 大人になった今思い返せば、 父は私たち兄妹を継母からの虐待から守るかのように、 私たちを毎日殴るようになったのです。 大きな音を立てて短く殴る。
暴力の毎日は生き地獄でした。 でもそれよりも辛かったのが、 優しかった父の人相が変わっていくことでした。 人はやったらダメなことをやり続けると、 自分の力では止めることができないのです。
中学2年生の時、 当時27歳の女性教師が長かった虐待生活から救い出してくれました。 たった一人の大人が救ってくれたのです。 でも、 あの日、 私が助かっただけじゃなかったのです。 父も、 あの日、 長かった虐待生活が終わったのです。 父はその一年半後に、 「悪かった」 の言葉を残し自ら命を絶ちました。 もっと早くに、 たった一人でも父の心を助けてくれる人がいたら…。 「被害者を救う前に加害者の心を救うことができたら」 との思いで現在活動しています。
生まれた瞬間から極悪な人などいない。 いま周りを見渡してほしい。 通報の前にぜひ温かい愛の輪を。

島田妙子(しまだ・たえこ)

1972年、神戸市生まれ。「児童虐待根絶」に向けて「大人の心を助ける」講演活動を積極的に行っており、実体験を基にした話には体験したからこそ伝えることができるとの定評を得ている。一般財団法人児童虐待防止機構理事長。2女1男の母親でもある。

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