京都新聞 こころのわ きづく つながる ささえあう

「こころのわ~きづく つながる ささえあう~」記念事業

第1部/講演

川村妙慶氏 真宗大谷派 僧侶・作家

私がインターネットでブログ「日替わり法話」を発信してはや約17年になります。メールで全国から寄せられる心の悩みを聞くうち、悩みを持つ人には一つの共通点があることに気付きました。それは答えを持っているということです。例えば、「私は悪くない」「私こそが評価されるべきだ」「私の病気はどうせ治らない」などと自分で答えを持って決めつけていることです。物事には、いい面も悪い面もあります。私たちは一方だけ見て「幸・不幸」や「善・悪」を判断しがちです。「こうあるべきだ」という考えに縛られるから、思い通りにいかないと腹を立てたり「自分はもう駄目だ」と悲観するのでしょう。人生は試験のように○×で答えを出す必要はありません。人と比べて自分中心に判断するのをやめれば、心はもっと楽になるはずです。

川村妙慶氏 真宗大谷派 僧侶・作家

なぜ人間は言葉で人を傷つけたり暴力を振るったりするのでしょうか。この根本的な問いと向き合わない限り、いじめや虐待は防げないと私は考えています。イソップ物語「北風と太陽」で旅人の上着を脱がせたのは、強風で一気に上着を吹き飛ばそうとした北風ではなく、旅人の体をじっくり温め、脱ぐのを待った太陽でした。自分の思いだけ押し付け相手を変えようとしても反発されるだけで、動かせるというものではありません。

心の仕組みを仏さまの教えを頂きながら考えてみましょう。人間が誰でも持っている煩悩の一つに、自分を守ろうとする「我」の心があります。「我」という漢字の中には、武器を意味する「戈(ほこ)」が潜んでいますね。この武器は、
自分にとって都合の悪いことに直面すると、すぐに出てきて相手を攻撃します。私たちが自分の言動を正当化したくなるのも、人から注意されると素直に聞けないのも、「自我」があるからです。

「高慢」という言葉があるように、人間は、自分を他人と比較して、上だと思えば優越感、下だと思えば劣等感を抱く「慢」の心も持っています。「我慢」は辛抱するというのではなく、我と慢が自分にもあるということを知るだけでいいのです。煩悩は箱型ティッシュペーパーのように取っても取っても出てきます。大切なのは、自分も煩悩を持つ人間だと自覚し、我の心、慢の心が増長しないよう自分の心を観察することです。そうすれば謙虚な心で周りの人のことも認められるようになるはずです。

子どもは大人にさまざまな質問をしますね。「なぜ人を殺しては駄目なの?」と問われて「怖い子だな」と思うのは決めつけです。「何があったの?」「なぜそんな気持ちになったの?」と聞いてみてください。素直な気持ちを聞けるかもしれません。気持ちを受け止めてから、私たちは一人では生きられないこと、嫌いだからといって排除できないことをじっくり話し合ってはいかがですか。「学問」と書くように、その問いが一つの学びになります。どんなことにも問いを持ってほしいと思います。

人生はよく樹木の成長に例えられます。しっかりと根を張っていないと木は立っていられないのに、今の教育は花を咲かせることばかり考えているように思えます。学校に行けずに苦しんでいる子どもに「行かなかったら将来はどうなるの?」と言うのは、子どもの悲しみに向き合っていないからでしょう。「あなたのため」と言いながら、自分の思いを押し付けていないでしょうか。本当の優しさとは、相手の痛みを思いやる感性を持つことです。これを浄土真宗の開祖である親鸞聖人は「ねんごろのこころ」と言われました。

あるお父さんから聞いた話です。お母さんを亡くした寂しさから息子さんが非行に走り、中学校を卒業すると引きこもってしまいました。就職活動をするようにと渡したお金も使い果たし、ついには「きょうからホームレスになる」と言い出しました。そこで父親が「おまえがなるなら、お父ちゃんもなる」と答えたところ、「俺だって本当は働きたいんや」と泣き出し、ようやく苦しい胸の内を話してくれたそうです。父親が自分の気持ちに寄り添ってくれていると知り、初めて客観的に自分を見つめられたのでしょう。

人間は道に迷う生き物です。迷ったとき地図になるのが「教え」です。皆さんの家庭にもそれぞれ信じる宗教があると思います。お子さんが道に迷ったときは、その教えを基に、温かい言葉をかけてあげてください。どんな話でも「へえ、そうなの」と驚きながら聞けば、お子さんは、もっと話してみようと思うのではないでしょうか。

仏教に「対治」と「同治」という言葉があります。子どもが「おなかが痛いから学校に行きたくない」と訴えたとき、薬を与えたり「そんなことを言わずに頑張りなさい」と励ますのが「対治」、「おなか痛いんか?つらいな」と慰めるのが「同治」です。励ましが必要なときもありますが、悩んでいる子にとって、親が同調してくれるだけで心が温かくなることもあります。「しんどい」と言われたら、そのまま「しんどいんやな」と返してみませんか。

いじめや虐待を受け、つらい思いをしている子にとって納得のいく答えなどすぐ見つかるはずがありません。傷つく言葉や暴力を受けると心に蓄積され、自分より弱い立場の人に対して同じことをしてしまうこともあります。それを防ぐには、いい言葉に出合うしかありません。悲しみに寄り添い、温かい言葉をかけることが、私たち大人にせめてもできることではないでしょうか。

残念ながら、どんなに後悔しても過去を変えることはできません。しかし、これからの生き方次第で「これでよかったのだ」と思える喜びに変えていくことはできます。「これからが、これまでを決める」(真宗大谷派・藤代聰麿師)。この言葉を私から皆さまに贈りたいと思います。

第2部/映画上映

「ずっと、いっしょ。」

文部科学省選定作品(少年向き・青年向き・成人向き H26.10)
厚生労働省社会保障審議会推薦(小学校高学年・中学生・高校生・家庭・一般 H26.12)

血のつながりのない家族
愛する人に先立たれる家族
死と向き合う毎日を生きる家族
いのちとは、家族とは、生きるとは、幸せとは、
人生を大切にするあなたに。
「家族のつながり」を描いた、
笑って泣ける、“いのちの物語”

「家族」って、何だろう?人生は、まるでシャボン玉。小さな粒から生まれて、ふわふわと浮かびながら、美しく輝き、そして、消えていく。それは、私たちにとっては一瞬の出来事。でも、広い宇宙から見ると、私たちの人生も同じようなものかもしれません。生きるって何だろう?いのちって何だろう?そして、人生をともに歩く「家族」って、何だろう?たったひとつで浮かぶシャボン玉はないように、そこには、必ず、寄り添う家族がいる。いのちといのちが出会い、新しい家族がうまれる。新しいいのちが誕生すると、家族はうまれ変わる。そして、一つのいのちが旅立てば、遺された家族の世界もまた、うまれ変わる。

家族って何だろう?
家族と共に生きることは、人生にどんな意味があるのだろう?
そして、幸せって何だろう?

「ずっと、いっしょ。」

©2014 Indigo Films

ナレーション:樹木希林
企画・監督・撮影:豪田トモ プロデューサー:牛山朋子
音楽:古田秘馬 アートディレクター:溝田明
構成:上村直人
主題歌『ずっと、いっしょ。』
2014/日本/デジタル/カラー/123分
製作:インディゴ・フィルムズ

「こころの輪」特別授業

日時=2016年7月1日(金)
場所=京都市立太秦中学校
内容=JERRYBEANS講演ライブ

僕らは活動の中で本当にたくさんの人に出会ってきました。不登校や引きこもりの人、差別に苦しむ人、障害と向き合う人、病と闘う人、家族を失った人…、この時代に生きる全ての人が誰にも言えない痛みを背負っています。それでも懸命に生きている人たちに、僕らは生きていく勇気をもらいました。暗闇にいるからこそ見える光があることを知りました。音楽に乗せて、あなたに拍手を送りたい。心からの感謝を込めて。(JERRYBEANS)

君と同じ時代に生まれて

作詞・作曲:JERRYBEANS

みんなと同じように笑いたい それさえ叶わぬ願いで
自分を傷つけて忘れようとした
あのとき僕が知られないように 隠した心の声
耳を塞いでも聞こえてた「助けて」

あなたの笑顔を見ることが 本当はたまらなく好きで
でもその笑顔を奪っていたのは 他の誰でもないこと
僕に生まれた意味があるかな 僕に生きている価値があるかな
もうそんなことは考えなくていいよ 謝らなくてもいいんだよ

大切に思うその気持ちは 時に心を焦らせた
誰の言葉も聞こえなかった
君のためにと言い聞かせて 怒鳴っている自分が嫌いで
うまく伝えられないけれど ただ君の幸せを願っている

誰もが同じ時間の中で 誰にも言えない痛みを背負って
明日はきっと笑えるように 懸命に今を生きている

歌詞一部抜粋

◎JERRYBEANS(ジェリービーンズ)=双子の兄弟であるヴォーカル&ギター山崎史朗、ドラム山崎雄介、ベース八田典之の3人からなる滋賀県出身のロックバンド。3人とも小学校高学年から中学校3年生まで不登校を経験、引きこもりだった時期もあった。そんな3人の経験をもとにしたメッセージを、歌と語りで伝える「講演ライブ」スタイルで、学校や福祉施設、地域イベントなど数多くの場所で活動している。

「こころの輪」特別授業

「その時、心の居場所があれば」

私は少年鑑別所で約25年間、14~20歳の子どもたちが非行に至った理由を調べてきました。「非行少年」というと「悪い子」と思われがちですが、そうではありません。多くは社会で「生きにくさ」を感じている子どもたちです。周囲が気付かず適切な対応が受けられなかった結果、家庭や学校で心に傷を受けていました。家庭内で虐待などの問題を抱えている子も少なくありません。
彼らの中には褒められたことがない子もいます。叱られてばかりいると自己評価が下がり、周囲に対して不信感を持つようになります。前向きになれず自暴自棄、抑うつ的になるので、また叱られるという悪循環です。彼らも褒められ認められる経験をすると意欲的になります。大人の声掛け、まなざしの重要性を感じずにはいられません。子どもへの支援で重要なのはタイミングです。「その時」手を差し伸べることができれば、その子の一生を救えると言っても過言ではありません。
子どもの成長には、発達段階ごとに乗り越えなければならない課題があります。乳児期には、母親と密接な愛着関係を築くことで、世の中に受け入れられているという信頼感の獲得につながります。幼児期には何でも自分でしたがるので、肯定的な声掛けをすれば、どんどん自律性が育ちます。学童期には、さまざまな課題に取り組み成功体験を積むことで自信を付けます。それが自己肯定感にもつながるので、無理な課題は与えないでください。睡眠・覚醒のリズムを整え、食事をきちんと取らせることも必要です。
第2次性徴が始まる思春期は、性ホルモンの影響で心身共に不安定になります。非行や自殺のリスクが高まるのもこの時期です。学童期には外に向いていた関心が自分自身に向かい、他人の視線や言葉に対して敏感になります。進路や友人関係など多くの問題に直面するので不安が大きく、身近な大人に対して依存的になるのもこの時期の特徴です。一方で、思考力・判断力は大人並みに発達し、自己主張や反発をするようになります。
甘えるくせに言うことは聞かないので、周囲の大人には子どもの考えていることが分からず、振り回されている気分になります。しかし、このときしっかり受け止めることで、子どもは「私は私でいいんだ」と感じ、自己同一性を確立できます。そのためには子どもの言葉にきちんと耳を傾けることが大事で、絶対に批判はしないでください。私たち大人の役割は、子どもの「自分探しの旅」に付き添い、見守ることです。そんな私たちを大人の「モデル」として見ながら、子どもは自分が将来どんな大人になればいいか模索しているのです。

京都少年鑑別所医務課医師・精神科医

定本ゆきこ

親も子も自己肯定できる環境が何よりも大切

「こころの話」への応募、書き終えたのですが、どうしても出せませんでした。「こころの話」へ文を送ることが、子どもの足を引っ張ることになるのではと、考えてしまったのです。娘は小学6年で不登校になりましたが、中学で立ち直り、現在は全日制普通科の高校に通い、生徒会活動を頑張るなど充実した高校生活を送っています。
しかし、まだ道半ばではと、思ってしまうからです。「乗り越える」ということを俯瞰できるようになるのは、いつなのかと、思うからです。子どもというより、母親の私自身の問題ではないかとも思います。
書こうか、書くまいか、それすら迷いました。応募方法に、ペンネーム可とありましたので、それに背中を押されて、書き上げたのに、出せませんでした。
しかし、今現在、苦しんでらっしゃる方がおられるのです。何かできないかと思い直し、今、これを書いています。
子どもが不登校になると、親はどうしてよいかわからず立ち尽くします。自分の子育てのあり方に何か問題があったのではと自分自身を責めるのです。
一番辛いのは、孤独なときです。不登校という迷宮、出口のない迷路と感じているときです。光の差さない暗闇にいると感じているときです。初期段階での対応がとても重要なのに、何の知識もないままに進まなくてはなりません。
幸い私は、理解ある家族と親類・友人、さらに近隣の方に恵まれました。そして、良い本に出会い、中学で思いを共感できる保護者の方々と出会い支え合えました。このとき知り合った方々で子どもの卒業後もグループトークの場を作り、続けています。(そして、下の学年へとつないでいけたらという思いでいます)。今現在も、支え合っています。
しかし、もっと早い段階で、このようなことができていたら…と思うのです。これでいいのかと迷い自問自答し、何もかもが手探りの中では、親も子も自己肯定できる環境が何よりも大切だと、感じています。6年前の私に、今の私とグループトークのメンバーをあげたい、それが正直な気持ちです。

(ペンネーム 紫の風人)

必要なのは、理解と支えです。

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