簡素、静寂の空間 京都市右京区にある名さつ、龍安寺。ユネスコの世界文化遺産にも認定された京都の社寺の一つである。「観光道路」の通称で呼ばれる「きぬかけの道」から山門をくぐって参道を進む。古くはオシドリの名所だったという鏡容池を眺めながら方丈へ向かう。静寂に包まれた境内。今では龍安寺と言えば石庭、石庭といえば龍安寺の名前があがるほど、有名になった庭。久しぶりに訪れた日は、新春の寒波でうっすらと雪に覆われていた。ほんの少し日が射すと、方丈の南面の庭は油土塀の影になった部分を除いて、すぐに雪は消えた。刻々の移ろいを取り込みながら、石組みと白砂の厳しい抽象構成は、粛然として瞑(めい)想的な気配をただよわせる。 謎とさまざまな説と
知らない人がいないほど有名になった石庭だが、いつ、だれが、どのような意図でつくったのかは、諸説数々あっても決定的とはならず、今も謎(なぞ)につつまれている。作庭者も古くから名のあがった相阿弥はじめいろいろなら、大小15個の石組みと白砂だけで構成された庭もまた多様な解釈がある。海に浮かぶ島、雲海に浮かぶ嶺、中国の故事「虎の子渡し」を表したとする古くからの見方もあれば、「七五三」や「心」の字の配置などさまざまだ。宮元健次・龍谷大助教授は最新の研究成果「龍安寺石庭を推理する」(集英社新書)で、西洋庭園の技法からの影響や黄金分割に基づく配置構成などを指摘し、作者を小堀遠州とするなど興味深い論証を行っている。 美術的アプローチ 龍安寺の石庭に対する美術からのアプローチと言えば、日本画家が簡素な美しさにひかれて描いたり、月夜の青い静寂を描いたようなオマージュ的な風景画がほとんどだ。石庭の実測図をつくり、石庭の美を実証的に究明しようとしたのは、わが国のシュールレアリスム絵画の先駆者のひとり、京都の北脇昇(1901−1951)だ。明晰(せき)な頭脳の持ち主だった北脇は、数式などに基づく独創的な絵画に取り組んでいた時期の1939(昭和14)年に実測図を作成、2年後に「竜安寺石庭ベクトル構造」を描き、美術文化展に発表した。石組みを結ぶ台形や平行四辺形の動的組成を具体的に示しながら、石庭から受ける美意識に数学的根拠が隠されていることを考証した、いかにも北脇らしい先駆的な実践の特異な例だ。 先験的記憶の目覚め
外観は小さな丘に巨大な円筒が少しの傾きをもってよこたわる形。暗やみのなか螺旋(らせん)の階段を昇っていく。身体バランスは揺らぎ、不安も襲う。昇りきって光りのある場に出ると、龍安寺の石庭や油土塀と屋根が円筒形の内部側面に見え、反対側には180度反転した形で油土塀と石庭がある。実際の龍安寺では決して見られない俯瞰(ふかん)的視界も伴って、さながらシリンダーの中を石庭が回転しているような錯覚さえおきる。床面は8分の1の角度の傾斜があり、立っていても足もとはぐらぐら揺らぐような眩惑(げんわく)感がある。床にはシーソーやベンチがあり、天井部にも反転した形で見えているが、これまた精神のよるべよりは、知覚を刺激するはたらきとなる。「奈義の龍安寺」は、人間が重力に反して立つことができるようになるときの先験的な身体感覚と記憶を思い起こさせ、あらかじめ設定された知識や既成概念ではない、新しい身体・感覚・知覚を降り立たせる場となる。 1994年に奈義町現代美術館がオープンしてしばらくは「偏在の場・奈義の龍安寺・心」と題されていた荒川+ギンズの独創的な創作は、今は「心」が「建築する身体」に改められている。岐阜県養老町につくった「養老天命反転地」(95年)や、この春の愛知万博(愛・地球博)の開催に合わせて名古屋市守山区志段味に建設される循環型モデル住宅など、宿命反転住宅や宿命反転都市の構想と実現をめざす荒川+ギンズの思想や哲学がますますラディカルに作品として具現されている証左だが、その最初の記念碑であり、代表作として「奈義の龍安寺」はある。=敬称略 (随時掲載します) <バックナンバー>◆アート新・古・今 《1》 《2》 《3》 《4》 《5》 《6》 《7》 《8》 《9》 《10》 《11》 《12》 《13》 《15》 《16》 ◆ひとARTALK ◆発動 京都の工芸 ◆挑発する美術家たち |
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