アート新・古・今
京都の時空に遊ぶ《16》
 閉塞感ただよう世の中同様に、アートシーンもいまひとつ元気がない。それでも京都の歴史都市空間には、新しい芸術表現の種がまかれ、社寺の建築や庭園の造形、伝統文化が現代の美術表現のヒントともなってきた。そんな京都の時空を自由に歩いてみたい。
法然院の散華と栗田宏一「土の散華」 花と土の色 心見つめ直す

 東山三十六峰のひとつ善気山のふもとにある法然院。閑静な境内は、季節に応じて数十種類の鳥のさえずりが聞こえる。総門から山門へと向かう参道は、今なら寒椿(ツバキ)が落ちて風情を運ぶ。一段高い位置にある茅(かや)葺きの山門は、聖と俗の結界のような役目を果たし、盛り砂の白砂壇の造形と模様が迎える。墓地には、学者や文化人、作家など著名人のお墓が多いことでも知られ、美術界では、京都画壇で名をなした福田平八郎や石崎光瑤、梶原緋佐子、漆芸の番浦省吾らの墓所がある。

季節の花による荘厳

栗田宏一が法然院庫裏の正面玄関の床で行った「土の散華」。円錐形の小さな「須弥山」が縦横27個ずつ計729個並ぶ

 法然院の本堂でなされる散華は、この寺の独特の荘厳だ。本尊・阿弥陀如来座像が安置された須弥(しゅみ)壇(直壇)が舞台。ふき磨かれた板間に二十五菩薩を象徴した二十五の生花が、本尊に近い位置から等間隔で3、4、5、6、7の数で置かれる。散華といえば、法会などの際に紙でつくれらた五色の蓮華の花弁を声明に合わせながらまき散らすイメージがあるし、二十五菩薩と言えば浄土へ向かう死者を迎えにくる様子を描いた仏画や法会の「お練り」の行列が思い起こされるのだが、法然院の散華は、つつましく、ひそやか。花を捧(ささ)げる閑寂とした行為がかえって典雅さを引き立てる。

 法然院の散華が、いつから、どうして始まったかはわからない。生花の配置もなぜそうなったかは、言い伝えもないと梶田真章貫主はいう。生花は春の今なら、本堂と方丈のあいだにある中庭の樹齢を重ねた花笠椿、貴(あて)椿、五色の散(ちり)椿の大きな花弁が捧げられる。三種の咲く順番に置かれ、しおれたものから梶田貫主の手で取り替えられる。訪れた日は、貴椿の白い花弁が定規にそって配置され、現代美術的に言えば散華のインスタレーションの趣を息づかせた。本堂はふだんは非公開だが、毎年の春(4月1ー7日)と秋(11月1ー7日)は公開され、春のこの時節には椿の散華をまのあたりにすることができる。椿のあとはツツジ、アジサイ、ムクゲ、フヨウ、キクと季節ごとの花による散華となる。

捧げるという行為

法然院・本堂の本尊・阿弥陀座像前の壇の上でなされる散華。春はツバキの花弁が25個、等間隔にゆかしく置かれる

 法然院の散華の「捧げる」という心に打たれたのが、アーティストの栗田宏一だ。栗田は日本の各地を旅して、自然の土を採取し、自然の土がもっている色の美しさに気づかせる表現行為を続けている。阿弥陀仏に花を捧げる散華の精神は、訪れる人に自己の心をみつめ直す空間を提供することに努める法然院の姿勢の象徴であり、栗田は、自分の考えや思いを、ただ無心に捧げるという自身のアート表現と響き合っているように感じた。そのことを梶田貫主に手紙で伝え、直接訪ねて話した。栗田の「土の散華」のインスタレーションが実現したのは、1997年の夏のこと。

 場所は法然院の庫裏の玄関の板間。全国各地で採取した土の粉末を小さな紙製の筒口の尖(せん)端から少しずつ落として円錐(すい)形の山の形にする。最初の山から一つまたひとつと等間隔につくっていく。縦横に27個の列、全部で729の土のストゥーパ(塔)が並んだようなマンダラ的な構成を創出した。ひとつ一つ異なる土の色。美しい円錐形の山は高さ3センチ、円錐底部の直径5センチほど。ひとつ一つが引き立て合う土の色のハーモニーと調和。実際に目のあたりにした人も、後に写真で知った人にも深い感銘を心に残した栗田の「土の散華」は、徐々に人の気持ちをつかんで広がっていった。

土のコレクション

京都芸術センターで行った土のインスタレーション。27センチ角の土の正方形が縦横27ずつ729種類、格子状に配置された

 舞踏をしたり、金属ジュエリーをつくりながらも自身の表現に迷い、インドなどへの旅をしていた栗田が、土を採取し、土の色の美を提示するようになったのは10年ほど前。能登半島で見た土の色の美しさに言いしれぬ衝撃を受けてからだ。以後、北は北海道から南は沖縄の石垣島あたりまで全国各地を旅し、行く先々の土地で、自然の土を少しずつ採取、集めるようになった。

 土のコレクションは、今では1万9千種にもなる。乾燥させ、ふるいにかけて細かい粒子状にして、円錐の山をマンダラ的に並べて発表したり、同寸の試験管に入れて一列に並べて展示する。一昨年は東京都現代美術館の企画展「地球の上で」に、英国の自然派のリチャード・ロングやハミッシュ・フルトンらの作品とともに栗田の「土の散華」が並んだ。昨年はパリでの発表や、念願だった子供向けの本「土のコレクション」が出版されるなど、活躍の場が広がっている。先ごろ終了した京都芸術センターの開館5周年記念展では、近畿一円で採取した729種類の土を一種類27センチ角の正方形にして、縦横27列ずつ大広間に配置。自然の土の色ならではの優しさやぬくもりの息づく美しい色のインスタレーションが訪れた人の心を動かした。

 栗田の表現行為に一貫するのは、土を慈しみ、色の美しさを愛(め)でる心ばえだ。旅をし、土を採取したときの自身の気持ちや記憶。それがあるからこそ、愛でる気持ちが深くなる。だから自然から預かった土の色の美しさを、ありのままに提示する。それに気づき、土のかけがえのなさを考え直す出逢いになることを願って。

 「相撲で負けることを土がつくと言ったり、雲泥の差といった言い回しもある。あまり良いイメージで思われていないし、色も同じと考えている人が多い。本当にそうだろうか?当たり前のことのように思っている先入観をひっくり返すこと。それがアートの力だと思う」と栗田は話す。

 足もとのひとにぎりの土から人間が自然の一部として生きることの潜在力を見つめ直すこと。栗田の「土のインスタレーション」のさまざまな色の美しさは、違いを否定せず、違いを認め合って、共に生きることへの呼びかけでもある。それは法然院の散華にこめられた大いなるはたらきへの祈りと願いとも響き合う。=敬称略

 (随時掲載します)

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