明治の初めころ、小学校は地域の中心としての役割を果たしており、内部に設置した太鼓を打って、人々に時刻を知らせた。現在の校舎へは昭和27年(1952) に移築された。今では太鼓は外されているが、こうした望楼の残る学校は有済校だけになった。京都の小学校の長い歴史を、今に証言する貴重な建造物と言える。