(五の五)



 お茶屋街

 さて、この新門前通の少し南側に入ると、新橋通のお茶屋が軒を並べる通りになっている。道には石畳が敷かれ、町並みも重要伝統的建造物群保存地区として、面的な景観の整備が図られている。やがて祇園の芸・舞妓さんらも参拝する辰巳大明神 (通称・辰巳稲荷) が見えてくる。

 




 吉井勇歌碑

 辰巳稲荷で道は二股に分かれており、左手の辰巳通に沿って白川が流れている。その一角に、赤みを帯びた大きな鞍馬石に一首の歌が刻まれているのが分かる。明治から昭和期に活躍した歌人・吉井勇 (1886−1960) の歌碑で、吉井の古希を祝って建てられたもの。碑面には「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」という、何とも艶っぽい歌が刻まれている。

 碑の建つ位置は、かつて文才のある芸妓として名を馳せた磯田多佳女(たかじょ)が、女将(おかみ)を務めた茶屋「大友(だいとも)」のあった場所。吉井勇は、この歌をその大友で詠んだといわれている。

 毎年11月8日には「かにかくに祭」が歌碑の前で行われ、芸・舞妓さんらが菊の花を供えて故人をしのぶ。  




 有済小学校

 古門前通の北側、京阪電車の三条駅近くに京都市立有済(ゆうさい)小学校が建っている。有済小学校は明治2年(1869) の創立。ここの校舎の屋上に注目してほしい。火の見櫓 (やぐら) のような木造の望楼が見える。

 明治の初めころ、小学校は地域の中心としての役割を果たしており、内部に設置した太鼓を打って、人々に時刻を知らせた。現在の校舎へは昭和27年(1952) に移築された。今では太鼓は外されているが、こうした望楼の残る学校は有済校だけになった。京都の小学校の長い歴史を、今に証言する貴重な建造物と言える。



▲知恩院門前周辺▲