(三の二)



 石段で洪水対策を施した民家

 上鳥羽まで歩いてくると、道の両側の民家が少し高い石段の上に建っているのに気付く。この辺りは鴨川と桂川、西高瀬川の三川合流地で、大雨になれば洪水に見舞われた所。その対策としてこのような石段が考え出されたもの。




 恋塚寺と袈裟御前の墓

 下鳥羽まで行くと、「恋塚寺」といういかにも曰く因縁のありそうな名前の寺がある。由緒はこう。

 今からざっと 800年前、御所を守っていた北面の武士、遠藤盛遠が、渡辺左衛門尉源渡という武士の妻、袈裟御前に横恋慕して、御前に夫を殺せと無茶な要求をした。夫を愛していた御前は、夫の身代わりになって遠藤盛遠に殺されてしまう。盛遠はそれを悔やんで出家し、文覚と名乗り、後に神護寺を中興する立派なお坊さんとして知られることになる。

 『源平盛衰記』に出てくる物語で、盛遠はこの地に彼女の墓を建てて「恋塚」と称した。境内にある恋塚は、宝篋印塔の各部分を寄せ集めたもので、珍しい形になっている。



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