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(3)藤原安紀子 「音づれる聲」

言葉を壊し言葉をつかむ人間の精神の核心や起源へ…


音や色と同じように一語一語をつかって創造する藤原安紀子さん(詩は「は音の円話」より)=画像クリックで拡大表示

 表紙を開くと6つの不思議なタイトルが並ぶ。「羽葉らの木翳」「白有による森」「は音の円話」…。

 例えば次は「シマへあける舟」から。

 「円環のきみのカタへ/あらわれて羽ね天使円環のきみのカタへあらわれて羽ね天使//ディベロップ廻(み)るの丘ぼくらの内の光り廃庭から/入り来るものの光り」

 また「つらなる光耳」から。

 「ぼくは眇め笑みかけまわる人/葦のの器/とおいとも握るまま/なくなひから水母をいいわけて立ち/月のに一面と/いく花を生けかたらかな葉をたくさん/踏みていた」

 見慣れた単語が文脈のなかで既成の意味を失い、見たことのない言葉が意味を持つかのように確固とある。読者は戸惑い、意味をつかもうメッセージを読み取ろうと考え込む。

 「わた  の  はなし  を  する」のように文字の間の空白が読者の想像を広げる1行もあれば、「真(ま)リ」や「波(は)ねおどって」のようにルビで読みを強制する言葉もある。

 藤原安紀子さんの初めての詩集「音づれる聲」(書肆山田)は伝達手段としての言葉を過激に壊し、言葉への懐疑心さえ呼び起こす。

 発刊された当初、新聞や雑誌の詩評欄で、多くの先達詩人が取り上げた。「意味が捨てられたところにかすかに声が聞こえる」など、藤原さんの世界を受け入れる人がいる一方、「一つ間違えば知的で高度な言語遊戯」と、その実りに疑問を投げかける人もいた。

 どの詩編も、漢字の使い方など言語の社会的なルール「正書法」から、はるかに逸脱している。特異な言葉は、3年前に現代詩手帖賞を受けた時には「造語が気になる」と指摘された。

 しかし藤原さんは「今ある言葉では(表現に)追いつかないからで、造語というのではないのですが。現代の人に分かってもらえなくても、大昔にあった、あるいは未来にある言葉かもしれず、その時の人は分かっているかもしれないでしょう」と言う。

 詩集は今年の「歴程新鋭賞」を受けた。11月に東京であった授賞式では「一語一語が奇異ではなく、正直な感情に裏打ちされている」と称賛された。口語自由詩の歴史にあった、「意味の解体」から新しい詩の世界を生みだすスタイルとはまた違う。

 藤原さんは創作のスタンスを「人間は言葉から生まれてきたものだと思う。そういう人間の精神の核心や起源に触れたい。紀元前からの連綿たる歴史の一点にいる私が、漠然と感じている見えないけれど大切な大きな力を内に呼び込み、外界とつなげればいいと思う。言葉を使っていますが、絵や音楽で表現するのと同じ事」と語る。

 「例えば俳句とか短歌は、言葉を使った表現の先に広がるものを目的としているように思うのだけれど、私のしていることはその反対にあるように思う。器としての言葉の可能性を探りたい」

 心を空にして耳を澄ます。「目の前の物に焦点を合わせるんじゃなくて、カメラなら絞りを開放にしきって全体をつかまえるような」

 大学では写真表現を学んだが、初の個展はギャラリーの真ん中に詩を印刷した紙片を置くというパフォーマンスだった。世界を感受性で切り取り差し出すのは同じなのかもしれない。

 一編を朗読してもらった。

 か細い声でつぶやくように読む。

 「ははらのこかげ  つ まさきたち……」。

 たどたどしく、立ち止まる声音はひそかな雨だれのよう。耳を傾けるうちにかれんな現代音楽に聞こえはじめる。言葉が生まれる瞬間に居合わせるような、不思議な世界に包まれた。

[京都新聞 2005年12月4日掲載]

美術、音楽、演劇、デザイン、パフォーマンスなど多様なジャンルの中から、次代を担う京滋ゆかりの表現者を選び、創作世界の広がりを紹介します。

藤原安紀子(ふじわら・あきこ)
詩人。1974年宇治市生まれ。大阪芸術大写真学科卒。京都市在住。2002年現代詩手帖賞受賞。05年に第1詩集「音づれる聲」で歴程新鋭賞受賞。同人誌「紙子」「ウルトラ」に参加。05年9月から1年間の予定でパリに暮らし、語学を勉強中。

第1詩集「音づれる聲」

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