The Kyoto Shimbun

(10)光島貴之 「わがままな記憶をかたちにしてさかのぼる」

製図用テープで「たどる」創作に結びつく失明前に見た色


光島さんの連作「わがままな記憶をかたちにしてさかのぼる」のうちの立体作品「みんなで乾杯」(埼玉県・川越市立美術館)

 目を閉じて絵画を鑑賞したことはあるだろうか。壁沿いに「コ」の字型に机が並ぶ一角に置かれた作品たち。シンプルな線、色は、音楽のようなリズムを感じさせるが、指でなぞると違った印象が伝わる。まずは画面の範囲を両手で確かめる。すーっとなめらかに続くのは木の幹や、道路などの線、ぼこ、ぼこと出っ張っているのは庭の飛び石やマーブルチョコレート。

 「壁に展示した作品を10メートル以上も触ってもらうと、手がだるいと言われたことがあった。会場を下見してこの場所をみつけ、すぐに飛びついた」と、作者の光島貴之さん(51)は声をはずませる。

 埼玉県の川越市立美術館で開催中の「タッチ、アート! 体感する美術」展(3月26日まで)に、自らの記憶をつづった連作「わがままな記憶をかたちにしてさかのぼる」を出品している光島さんは、製図用テープで作品をつくる全盲の作家。同展には立体に描いた作品も初めて登場、意欲的に創作の幅を広げる。

 京都市内で開業する鍼灸(しんきゅう)院での制作風景は、いたってシンプルだった。道具は、製図用のテープ、シート、カッターナイフ。色の識別は、かざすと「青」「あざやかな黄色」などと音声で教えてくれるカラーセンサーなどを用いる。画用紙の上を、両手でそろりと脈をさぐるような手つきでテープを引いていく。「『はる』というよりは『たどる』というほうがぴったりかな」。この方法で創作を始めて11年。来日したイタリア人の全盲彫刻家、フラービオ・ティトロに会い、スケッチブックに製図用テープで下描きしていることを知ったのがきっかけだった。

 先天性緑内障のため、幼少時から視力は0・02で、10歳の時に完全に失明。連作の中に、色紙(いろがみ)が大写しになった作品がある。「色紙を目の前に近づけないと色が分からなかった」という幼いころの記憶にもとづいた絵だ。そのころに見た、赤、青、黄色などの色の記憶が、現在の創作に結びついているという。

 作品はこれまでの半生を語る。通えなかった鳳徳小(北区)の絵は切なさが漂う。だが、大谷大の学生時代に転機があったという。車いすに乗った人物の口のあたりから赤い波が出て、杖(つえ)を持った人物にぶつかる絵がある。「街で待ち合わせをしていて、杖を持っているのが恥ずかしいような気がして片づけようとしていたら、通りがかったその人から『障害を恥ずかしがってはいけない』と批判された」。意識を変えるきっかけになった出来事だった。

 鍼灸院開業から10年後の1992年、東京で陶造形作家・西村陽平さんのワークショップに参加したのが創作活動の始まり。野外彫刻を触りにいくのが楽しみだったという。「当時は作品づくりをしようにも、社会人で目の見えない人が参加できる教室はそこだけだった」。毎月、東京に通い、20キロの粘土を相手に制作に取り組んだ。

 製図テープには個人的な思い出があった。学生時代、点訳サークルの仲間たちと、地域の目の見えない小学生たちのために算数の教科書を制作していたが、光島さんは、製図テープで作られた図形が正しく伝わるかを校正する役だった。フラービオのスケッチブックに触れて、「これだ」と直感したという。

 98年のアートパラリンピックで大賞(立体部門)と銀賞(平面部門)を受賞しただけでなく、独自の表現が注目され、全国で個展やグループ展を開催、今や米国でも紹介されている。29日は川越市立美術館で、造形作家の原田和男さんとライブで創作の競演を行う。つきない創作への興味。「あきっぽい性格だからかな。すぐに新しいことをしたくなる」と笑みをこぼした。

[京都新聞 2006年1月29日掲載]

美術、音楽、演劇、デザイン、パフォーマンスなど多様なジャンルの中から、次代を担う京滋ゆかりの表現者を選び、創作世界の広がりを紹介します。

光島貴之(みつしま・たかゆき)
1954年京都市生まれ。府立盲学校を卒業後、大谷大で哲学を学んだ。82年に同市北区で鍼灸院を開業。92年に粘土造形を始め、95年から製図用テープを使った絵画を始めた。98年の長野アートパラリンピックで大賞(立体部門)と銀賞(平面部門)を受賞。国内のほか、米国、韓国でも作品が紹介されている。

製図用テープで描く光島さん。指先は、画用紙の脈をさぐるように(京都市北区・鍼灸院兼アトリエ)

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