The Kyoto Shimbun

(20)キタモトマサヤ 「花も咲かないで」

簡素な舞台に浮かぶ人間の本質暴かれた心の奥底 ほのかな希望も


不思議な詩情に満ちた「花も咲かないで」の一場面

 「遅咲きの花」だ。

 キタモトマサヤさん(49)が演劇を始めて、この春で30年になる。だが、「人間の本質、心の奥底を描く」現在のスタイルに変わってからは、まだ5年。人気の高かったダイナミックな装置や、アングラ演劇の影響が濃い実験的な作風を捨てて2001年、生まれ変わった。

 能舞台を思わせる、ほとんど何もない舞台。淡々とした会話の積み重ねが、人間関係の闇、心の揺れを、残酷なまでに浮かび上がらせる。現実と記憶、妄想が交錯し、生者と死者が行き交う−。

 それまでとは正反対とも言える、そぎ落とされた表現に、多くの演劇ファンは驚いた。だが、以降生み出された作品は高い評価を受け、数々の賞を受賞している。

 「(早熟ではなく)ものすごい『晩熟』ですよね。やっと書きたいことが見えてきた。演劇に自覚的に取り組めるようになったんです」

 小学校高学年のころから会話が苦手だった。ものの見方、考え方が同級生と合わず、話が続かない。コンプレックスを抱えたまま1976年、立命館大に入学した。演劇部に入ったのは「人前でしゃべることが、いい経験になるかも」と思ったからだった。

 その夏、京大西部講堂で見たアングラ演劇に衝撃を受けた。泣いたり、どなったり、感情をむき出しにした演技。汗を流し、つばを飛ばす役者たち。「このエネルギーの中に自分を投げ込んでみたい」。演劇部の座長から後押しされ、その劇団「満開座」に飛び込み、役者修業を積んだ。

 同劇団を退団後は、次第に演出や劇作も手がけるようになった。83年、京都演劇界の中心だった西部講堂で「何か新しいことをやりたい」と、京大演劇部の出身者らとともに「遊劇体」を旗揚げ。「床にガソリンをまいたり、エレベーターを作ったり…。劇場の枠に収まらない表現を思いつくまま試した」と当時を振り返る。

 変わり始めたのは90年代後半。外部からの演出依頼が舞い込み、既成の戯曲を読む機会が増えた。ギリシャ悲劇やシェークスピア、泉鏡花など近代の戯曲。素晴らしい脚本がたくさんあった。

 「100年前、400年前、紀元前の作品が今も上演されるのは、人間の感情や欲望、揺るがない本質を描いているから。そんな古今の名作と対決できる作品、時代を超えて残る普遍的な作品をつくりたい」。強い思いに突き動かされ、01年、すべてを変えることを決意した。

 昨年秋に上演した「花も咲かないで」は、離婚して故郷に帰ってきた高校教師を主人公にした。くたびれた風体。老いた母に返す言葉もなく、自分勝手な妻の言動にも、心の中でしか感情を爆発させられない。

心の奥底のどろどろした感情、人間の弱さや情けなさを淡々とした筆致で白日のもとに暴く。だが、干からびた植木鉢から花が咲くことを予感させるラストは、ほのかな希望に包まれていた。

  演出面では「新劇的なリアリズムはいらない」と言い切る。舞台にリアルな美術や照明、音響はいらない。何もない舞台が、俳優が語るせりふや仕草で、茶の間に見えたり、軒先に見えたりする。「それが演劇という表現でしょう。ドラマの本質が伝わりさえすればいい」

  「恥ずかしげもなく言うなら」と前置きして、キタモトさんは言う。「演劇は、やはり芸術なんです。何を表現するのか、作り手の思想がはっきり見えるものをつくらなければならない。そんな作品を1本1本大切に、磨き上げて出したいと思うんです」

  長い長い「道草」の季節を経て、今、「自分で大事に思える作品がつくれる」手応えを感じている。

[京都新聞 2006年4月9日掲載]

美術、音楽、演劇、デザイン、パフォーマンスなど多様なジャンルの中から、次代を担う京滋ゆかりの表現者を選び、創作世界の広がりを紹介します。

キタモトマサヤ(きたもと・まさや)
演出家・劇作家。1956年大阪府生まれ。「遊劇体」を主宰し、京都を拠点に活動。2001年「闇光る」で第1回仙台劇のまち戯曲賞大賞受賞。03年「残酷の一夜」、04年「エディアカラの楽園」で第11、12回OMS戯曲賞最終選考。今年7月、大阪・精華小劇場で新作「あの眩(まばゆ)い光に砕けろ」を上演、11月には京都芸術センターで「闇光る」を再演する。大阪府在住。

「西部講堂は原点。何をやってもいい自由の場で、演劇を通して人とつながってきた」と語るキタモトさん(京都市左京区・京大西部講堂前)

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