The Kyoto Shimbun

(23)樋口裕子 「スパニョレッタ」

宮廷舞踏の様式美再現16世紀イタリアのリズムと文献考証


古楽器の演奏に合わせてルネサンス期の作品を踊る樋口さん。考証を重ねた振り付けで宮廷の華やかさを演出する(京都市上京区・府民ホールアルティ)

 もし、織田信長がイタリアの宮廷音楽を所望していたら−。

 府民ホールアルティ(京都市上京区)で20日に開かれた演奏会。舞台と客席の間に設けられた約15畳の空間は、ルネサンス後期の宮廷を想定した舞踏場になった。

 素朴で味わいのある古楽器の音色に合わせて、貴族の衣装をまとった出演者が軽やかにステップを踏む。ヒロインは、国内では数少ない宮廷舞踏家のひとり樋口裕子さん。

 身体をすっぽりと包むロングドレスは、あかね色に金の刺しゅうを施し、細部に時代考証を重ねた特注品だ。「当時の衣装は、見た目の華やかさだけを追求し、重くて動きづらいんです」

 装飾でこわばる“布製のよろい”は、バレエやモダンダンスのように腕や足を高く上げる所作を拒む。「当時の舞踏は、フェンシングや乗馬と並んで騎士に欠かせない技術のひとつとされていました。戦争の多かった時代ですから、舞踏には体力を養うねらいもあったのでしょう」

 演舞の時も、背筋をピンと伸ばして上体を揺らすことがない。天下布武を目前にした信長が座っていただろう客席中央に視線を見据えた。

 「スペイン風の」という意の「スパニョレッタ」は、16世紀後半にイタリアで流行した作者不詳の舞曲。樋口さんは、当時の文献をまとめた資料本を取り寄せ、足の運びなどを再現した。

 郷愁を誘う縦笛の旋律に呼応して、襟のルーツとされる円盤形の大きくて白い首飾りが、チョウのように舞う。

 「文献は、貴族が舞踏を学ぶための教本。メロディーは一つですが、踊り方は複数の本で紹介されていました。楽譜と違って、文章で簡単に記されているだけなので、再現するのは一筋縄ではありません」

  樋口さんは、楽譜に合わせて踊り方を併記したフランスの舞踏譜を読み解いて実際に舞台化した経験を生かして、型やリズム、間の取り方などを解析。旋律とマッチした舞踏を完成させた。

 さらに男女のペアダンスだった原作を女性のソロ向けにアレンジし、カルメンのように両手でカスタネットをたたく演出を加えた。

 ルネサンス・バロック期の宮廷音楽は、舞踏と不可分の関係だった。「バロックダンスが生まれたフランスでは、むしろ舞踏のために音楽があったのかもしれません」

 舞踏会を主催するのは、王侯クラス。招かれた貴族や騎士階級が順番に舞踏を披露し、華を競った。演奏は、ひんぱんに行われた舞踏会のために、王侯貴族が抱えた職人が担う。名作曲家のリュリ(1632−87)は、宮廷バレエの一員としてルイ14世に仕え、音楽の才能を開花させた。

 フランスの宮廷を中心に発達した舞踏の文化は、絶対王制に終わりを告げたフランス革命を契機に途絶えた。舞踏音楽だけが後世に伝えられ、現在のクラシック音楽の礎になったといわれる。

 樋口さんが舞踏と出合ったのは、大学で声楽を専攻していた23年前。発表会で披露するバロック期の声楽曲を調べると、舞踏のリズムが使われていた。「音と歌詞をつなぐ軽やかなリズム。実際のダンスにも触れて、型を重視する様式美にひかれました」

 宮廷舞踏の研究は、本場の欧州でもバロック音楽が見直された半世紀前から。樋口さんが舞踏を始めた20年前も国内に専門家はいなかった。英国の出版社に手紙を書いて専門書を手に入れ、友人に翻訳や衣装の復元を頼んで、これまでに100曲以上を舞台化した。

 「まるでタイムスリップしたように、当時の華やかな演奏の様子がイメージできる。埋もれた舞踏の再現は、歴史をひもとく考古学的な楽しみもあるんです」

[京都新聞 2006年4月30日掲載]

美術、音楽、演劇、デザイン、パフォーマンスなど多様なジャンルの中から、次代を担う京滋ゆかりの表現者を選び、創作世界の広がりを紹介します。

樋口裕子(ひぐち・ゆうこ)
1963年堺市生まれ。同志社女子大在学中に舞踏の研究を始め、英国やフランスなどで技術指導を受ける。96年に大阪のザ・フェニックスホールの公募企画に選ばれ、「舞踏組曲への道〜舞曲史の一場面」と題して上演。このほか「エリザベス朝の宮廷模様」「信長御所望の南蛮音楽と踊り」などに出演。シェークスピア、バッハ、モーツァルト時代の振り付けも行う。関西古典舞踏グループ「コートダンス・アンサンブル」の代表。NHK京都文化センターや同志社女子大、大阪音楽大で講師を勤める。大阪市在住。

「舞踏は、研究と実践の積み重ね。実際に踊ってみると、新たな発見があって楽しい」と語る樋口さん(京都市上京区・府民ホールアルティ)

記事一覧

Copyright(C) 1996〜2006 The Kyoto Shimbun Co.,Ltd.