The Kyoto Shimbun

(25)花田恵一 「ネオ・クラシカルスタイル」

伝統の日本髪に創意加え衣装やメーク替え、可能性を探る


江戸時代の「ばい髷」をアレンジした花田さんのヘアデザイン

 そそり立つ高さ約30センチの髷(まげ)が目を引く。江戸時代中期の日本髪「ばい髷(まげ)」をアレンジしたヘアスタイル。西洋の古典的なドレスを着た女性と不思議にマッチしている。

 京都市中京区で美容室を経営する花田恵一さん(42)は近年、こうしたヘアデザインを美容専門誌に発表し、注目を集めてきた。伝統の日本髪に創意を加え、西洋と日本のさまざまな衣装やメークと組み合せるスタイルだ。自ら「ネオ・クラシカルスタイル」と呼ぶ。

 「ばい髷」は、ツゲのくしで髪をのばしながら心棒に巻きつけ、形を整える。毛たぼと呼ばれる詰め物を髷に入れて、ボリューム感を出した。大きさは、歌麿の美人画に描かれている同型のものよりかなり大きい。伝統の形を基本にしつつも、全体の大きさや部分的な形を自身の感覚で変化させているという。

 「髪の大きさや衣装を替えれば、日本髪の印象は全く違うものになる。単なる懐古趣味でなく、ヘアデザインの可能性を追求したい」

 力士の大銀杏(おおいちょう)のような江戸初期の「立兵庫」を再現した作品では、モノトーンを基調にした着物と組み合わせて歌舞伎の登場人物をイメージ。横に大きく張り出す江戸中期の「勝山」では、遊女の姿を表した。

 「浮世絵は19世紀フランスの印象派に多大な影響を与えたし、黒澤映画から影響を受けたジョージ・ルーカスの『スターウォーズ』のヒロイン、パドメ・アミダラの髪型には、日本髪からの流用も見られる。日本人が忘れているだけで、日本髪には芸術のモチーフになるインパクトが詰まっている」

 美容学校卒業後、1982年に尼崎市内の美容室に就職。その後、西宮市の別の店に移り店長を務めた。89年、より高い次元の技術と感性を求め渡米。ニューヨークのヘアサロンで美容師として働いた。

 帰国後、京都の美容室に誘われ働くことになった。美容師の仕事の傍ら、東京、大阪で開かれたグッチやコシノ・ヒロコら有名デザイナーのファッションショーで、ヘアメークにも携わった。

 「ニューヨークでは世界中から多くの人が集まっていたが、みんな自分の文化のルーツを大切にしていた」。華やかなファッションの世界に身を置きながらも、次第に日本人であることを再認識させられた。

 そんな時、京都の結髪師の一人で、祇園で舞妓らの髪を結う石原哲男さん(58)に出会った。長い黒髪がダイナミックな形に結い上がっていく。「衝撃だった。まさにアートだった」。日本髪のファッション性とフォルムの独自性に魅了された。

 98年に自分の店を持ったのを機に、石原さんに師事したいと思い、何度も通って2年後に弟子入りを許された。

 それからは夢中で学んだ。ヘアスタイリングとはカットのことだと思っていたが、道具や技術も、自分の知っている仕事とは全く違う。歴史や文化の本を買いあさって勉強した。約150種類もある日本髪の歴史や意味、花かんざしは元々お守りの代わりだったことなど、飾りの知識も深まった。今も店が終わった後は、ウイッグと呼ばれる人形を使い髪を結う練習を欠かさない。

 師匠の石原さんからは「やるからには本物をめざせ」と言われ、現在も週1回、3時間から5時間、指導を受けている。

 一般的には日本髪の需要は多くない。年々、髪結いの小物や道具も手に入りにくくなっている。伝えていかなければ、用具も技術も廃れていくと感じている。

 「結婚式でも、かつらでなく地毛で結えることを知ってもらいたい」。技術講習会では、結婚式や七五三などで使える日本髪を美容師らに教えている。学んだことを次の世代へ伝えるのが自分の使命だと考えている。

[京都新聞 2006年5月14日掲載]

美術、音楽、演劇、デザイン、パフォーマンスなど多様なジャンルの中から、次代を担う京滋ゆかりの表現者を選び、創作世界の広がりを紹介します。

花田恵一(はなだ・けいいち)
1963年大分県生まれ。98年に京都市中京区に自身のサロン「arms」を設立。現在、ヘアショー、セミナー、雑誌の撮影などで活動。2002年にカットやメークなどの講習会を行う団体「JBN」を設立。活動の一環として今春から、美容師を対象に月1回、日本髪技術講習会を開いている。

「日本髪には日本人の本来持っているファッション性が凝縮している」と話す花田さん(京都市中京区・arms)

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