The Kyoto Shimbun

(28)山口隆 「ホワイト・テンプル」

「あの世」を現世に表して自然に溶け込み さまざまな表情


森林に囲まれた「ホワイト・テンプル」(南丹市園部町大河内)

 南丹市の山間部を抜けていくと、森林に囲まれた小さな湖がこつぜんと姿を現す。その湖畔にある瑞専寺の境内には、先祖の位牌(いはい)をまつる紫光堂が建つ。「ホワイト・テンプル」とも称され、真っ白い直方体の建物が際だって見える。

 建築家山口隆さん(53)が手がけた代表作として知られ、2004年のリキッド・ストーン展に入選したのに続き、昨年は日本建築家協会優秀建築選に選定された。「宗教的な施設という性格を大切にしながら、いかに周辺環境と調和させるかをコンセプトに考えた」

 鉄筋コンクリート造りの平屋建て、床面積74平方メートル(幅約5メートル、奥行き約15メートル)。建物を地表から少し高い位置に設計しているためか、黒っぽい玉砂利の上に浮かんでいるように見える。伝統的な木造建築でもなく、モダンなコンクリートの打ち放しでもない。洞穴のようにくりぬいた構造で、装飾はなく、実にシンプルな外観だ。

 敷地そのものが聖なる空間。後方に緑の山、前方に湖が広がり、小鳥のさえずりが聞こえてくる環境だ。それゆえに新しい建物が勝手に自己主張してはいけなかったという。

 「設計していると、青い空、玉砂利の庭、緑の森林、光に輝く湖の水面など、バラバラに思える要素が、ひとつにうまく組み合わさっていった。自然の構成物と調和し、統合した結果が、ホワイト・テンプルだった」

 確かに、じっと眺めていると、建物そのものが巨大な石であり、自然の一部にさえ思える。木や水、土、風などに溶け込んでいるようだ。さらに、太陽光の方角によっても、白く塗られた壁が赤みを帯びたり、黄色く反射しても見える。一つの顔ではなく、さまざまな顔を見せる。山口さんが表現したのは、われわれが住んでいる「この世」とは違う、現世に現れた「あの世」だったのだろう。

 京都市北区の霊源皇寺では、「グラス・テンプル」とも称されているガラス屋根の透静庵を設計した。17世紀に造営され、幕末に岩倉具視が隠れたことでも知られる寺だが、あえて現代風の建築を考えた。

 「風通しや景観を損なわないためには、かつての庭を復元しつつ、地下に建てるのが最も良いと考えた。木造の寺院とガラスの建物を対比することで両者を引き立たせた」

 自身の設計思想を「場所とともに、時間という概念も重要。何より建築とは、歴史的な蓄積の上に成り立っている。つねに、その場所に、その時代に、人々のため、周辺環境のため、最良のものを求め続けるものでなければならない」と語る。

 自らが追究する建築には日本文化が基本にあるという。「日本人が本来持つ感性はすばらしい。和風建築は、木と紙と土でできあがり、とても繊細だ。自然の素材を生かし、さまざまな材料をうまく組み合わせてきた。その最も理想的な例が桂離宮だろう」と話す。しかし近代化以降の日本では、建築が経済や営利と結びつき、街の景色は乱雑になった。

 山口さんによると、英語の単語を「建築」と翻訳したことに悲劇が始まるという。語源のギリシャ語が意味するのは「根源」と、技術を含んだ「術」なのだ。「西洋で建築と言えば、万物の根源を知り、その術を社会のために使う学問だ。いわば哲学であり、建てる、築くという即物的な意味だけではない」と説く。

 作品を通して、建築の復興を考え、かつての日本人が持っていた建築の感性を取り戻したいと願う。「建築には力がある。建てることで、環境や社会がどう変わり、人々の生活が豊かになるのか。それを考えるのが、建築家の仕事ではないか」

[京都新聞 2006年6月4日掲載]

美術、音楽、演劇、デザイン、パフォーマンスなど多様なジャンルの中から、次代を担う京滋ゆかりの表現者を選び、創作世界の広がりを紹介します。

山口隆(やまぐち・たかし)
建築家。1953年京都市生まれ。京都大工学部建築学科卒。安藤忠雄建築研究所を経て、96年に山口隆建築研究所を設立。劇場や美術館、オフィスビル、博物館、宗教建築など幅広い分野を手がける。大阪産業大教授。「グラス・テンプル」(霊源皇寺透静庵)=1998年竣工=でベネディクタス賞・大賞を受賞、「ホワイト・テンプル」(瑞専寺紫光堂)=2000年竣工=ではリキッド・ストーン展に入選し、日本建築家協会優秀建築選に選ばれるなど受賞歴は数多い。

「建築は統合するアートでもある」と熱く語る山口隆さん(京都市中京区・京都市役所前)

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