The Kyoto Shimbun

(35)隅地茉歩 「それをすると」

西陣の工場 存在生かしダンス身体を動かせば見えてくる輪郭


「それをすると」の一場面(撮影・川上坐)

 薄暗い舞台に、木のテーブルといすが2脚置かれている。軽やかな、でもどこかもの悲しいリコーダーの音が響く中、テーブルの両端に向かい合って立つ男女。テーブルを指先でコツコツたたいたり、寝そべったり、床に座り込んで、人差し指と中指をトコトコはわせたり。

 日常のしぐさの延長のようなユーモラスな動きが、2人のダンサーの間で独特の「間(ま)」のコミュニケーションのように続く。次第に2人の関係が、夫婦にも、親子にも、年齢や性別を超越した存在にも見えてくる。

 京都を拠点に活動するダンスユニット「セレノグラフィカ」が、2004年秋から05年にかけて発表した「それをすると」。ダンサーで、自ら構成・振り付けをする隅地茉歩さんは、昨春、この作品で、コンテンポラリーダンスの登竜門とされる「トヨタ・コレオグラフィー・アワード」の「次代を担う振付家賞」(最優秀賞)を受賞した。以前から関西では知られていたが、一気に全国的な注目が高まった。

 ダンサーとしては変わり種だ。古典文学の研究者を目指して、同志社大大学院で源氏物語を専攻。同志社国際高校の国語の非常勤講師として働きながら、歴史事典の編集に携わった。机に向かう毎日。「身体を動かすなんて想像したこともなかった」

 ダイエットのためにジャズダンスを始めたのは27歳の時。すぐのめり込み、週1回のレッスンが、気が付くと5回に。基礎となるクラシックバレエを身につけなければ、と英国人教師の個人レッスンにも通った。

 しかし、アキレスけんを痛め、バレエを続けられなくなった。「それでも踊り続けたい」。さまざまな舞台を見て歩くうち、自由なコンテンポラリーダンスに出会う。

 それまでは、先生の振り付け通りに踊るのがすべてだった。だが、次第に「私だったらこうするのに」「自分で作ってみたい」という思いが膨らんだ。97年、所属していたカンパニーを脱退。その年の暮れ、ダンサーの阿比留修一さんと2人で「セレノグラフィカ」を結成した。

 初めは「ダンスは動いてなんぼだと思っていた」。隅地さんが阿比留さんをリフトしたり、転がしたり、格闘技のような激しさ。ある時、「はし休め」のつもりで作った短いパートが評判になる。阿比留さんが隅地さんのお尻を触ろうとしてたたかれたりするコミカルな動き。「かたくなさが取れ、肩の力が抜けた」後は、作風も変わってきた。

 03年秋、西陣織のネクタイ工場だった町家をギャラリーや舞台スペースとして活用する「西陣ファクトリーガーデン」に出演する機会があり、場所にほれ込んだ。そのスペースを最大限に生かした作品を、と生まれたのが「それをすると」だった。

 緩やかでユーモラスな動きは温かいが、同時に、欠落感や不在感を抱えている、と評される。「舞台上に一度も照らされない場所、足を踏み入れない場所があること。闇をはらんでいることが大事」。それを悲観的に表すのではなく、「それでも営みは続いていく」ことを表現したいと考えている。

 身体が持つ固有の質感や動きが生み出す表情にこだわってきたが、最近は、「言葉と身体、ダンスのかかわり」に関心が出てきた。昨年から、俳優のリーディングとダンスの共演という新しい試みを継続中だ。

 「私にとって動くことは、発語することに近い。自分の中で杳(よう)として固まらないものが、身体を動かすことで輪郭を与えられていく。身体の中にピンポイントで道筋を付けていくみたいに−。それ自体に手ごたえを感じるんです」

[京都新聞 2006年7月23日掲載]

美術、音楽、演劇、デザイン、パフォーマンスなど多様なジャンルの中から、次代を担う京滋ゆかりの表現者を選び、創作世界の広がりを紹介します。

隅地茉歩(すみじ・まほ)
振付家・ダンサー、「セレノグラフィカ」代表。大阪市生まれ。同志社大大学院修士課程修了。8月25、26日の「トヨタ・コレオグラフィー・アワード2005受賞者公演」(東京・シアタートラム)で「それをすると」など2作品を上演する。9月にはフランスで開かれるリヨンダンスビエンナーレに招待、初の海外公演を行う。京都市山科区在住。

「ダンスを作るという作業は、本当に地味な職人作業。持ち寄る素材にこだわり、もっと職人的になりたい」と語る隅地さん(京都市上京区・西陣ファクトリーガーデン)

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