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胃ろうは「延命治療」か 生きる選択、情報提供を

報道部 岡本晃明
ホテルで胃ろうから朝食を取る京都市のALS患者の増田英明さん(東京都内)
ホテルで胃ろうから朝食を取る京都市のALS患者の増田英明さん(東京都内)

 梅酒を知人宅に届けてきた。青かった実もわが家の台所の隅で年を経て、琥珀(こはく)色になった。年ごとに出来はさまざま。ガラス瓶から、さわやかな風味のものを選んだ。  知人は、胃ろうを使っている。おなかに小さな口。晩酌にしますと、喜んでくれた。

 経管栄養の一種である胃ろうは、口で味わうことや食べることと両立しうる。胃ろうでまずは全身の栄養状態を回復し、口からのみ込むリハビリにつなげる例も多い。胃ろうを脱却した人もいる。食べると食べられないの間に、胃ろうで使う小さな器具が、明確な線を引くわけではない。症状や状態によって、その境界線や適応はさまざまなケースがありうる。

 京都市が、終活として「事前指示書」を配っている。そこには、終末期の「延命治療」として、「胃ろうによる栄養補給」を希望する・しない・その他−から選択する欄がある。胃ろうの説明として「終末期の状態では、供給された栄養を十分に体内に取り入れることができないため、徐々に低栄養になります」と記載されている。

 脳卒中や事故、神経難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)などで医師から「余命わずか」「終末期」と告知されたが、経管栄養や人工呼吸器とともに長く暮らす人を何十人も取材してきた。京都市の説明は正しくない。少なくとも、どんな疾患や身体状況にもあてはまる説明ではない。

 市の関連リーフレットには、胃ろうがリハビリにつながるとの説明もない。楽しい晩酌も、胃ろうや人工呼吸器を「延命治療」と呼ぶことに反対する患者や遷延性意識障害家族の思いも、刑法の問題も書いてない。

 人工呼吸器も、車椅子に積んで花見に行けるほど小さくなった。鼻マスク式の呼吸器を日に数時間使い始め、息苦しさが減り眠れると話す京都のALS患者にも会った。その人が穏やかに眠る横で呼吸器が刻むリズムを、在宅ヘルパーと一緒に頼もしく聞いた。人工呼吸器もリハビリの一環と話す医師もいる。胃ろう同様、「延命」状態などとその人のことを思わない。

 厚生労働省の終末期ガイドラインが求めるのは医療チームの丁寧な説明と対話だ。病名告知もなく、京都市が提供できる福祉も医療的ケア支援も案内せずに事前指示書を配るのは、自治体としてバランスを欠くのではないか。

 哲学者の故鶴見俊輔さんは1992年、京都からの自衛隊のPKO初派遣に寄せて、隊員の「揺れる権利」を訴えた。それが個人の自由を保障することなのだと。特攻隊員は「志願」だったが、その権利はなかったと。終末期でも同じと思う。情報が多ければ、たくさん迷う。死という何より重い問いに、生きる手段と多くの支援情報を届け、迷い、揺れる時間を医師や家族が支える。行政がすべきは、その基盤づくりだろう。

[京都新聞 2017年5月3日掲載]

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