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東本願寺総会所解体 建物の価値、見つめ直して

報道部 浅井佳穂
真宗史的、建築史的にも貴重とされながら近く解体が始まる東本願寺総会所(京都市下京区烏丸通花屋町下ル)
真宗史的、建築史的にも貴重とされながら近く解体が始まる東本願寺総会所(京都市下京区烏丸通花屋町下ル)

 京都市下京区にある東本願寺(真宗大谷派本山)の総会所の解体が始まろうとしている。総会所は真宗史、建築史的にも意義深い建築物だけに、本当に解体してしまっていいのか。いま一度、建物の価値を見つめ直したい。

 京都を南北に貫く烏丸通を、六条通を越えて南下すると、西側には東本願寺の大伽藍(がらん)が広がる。対をなすように東側に見えるのが総会所だ。

 大正5(1916)年に完成した。木造平屋、783平方メートル。約230畳の大広間があり約1600人を収容した。2015年6月まで毎日法話が行われた。

 老朽化が進み、耐震補強に多額の費用が掛かることなどを理由に大谷派は建物の利用を断念し、解体を決めた。部材は処分する見通しで、一部は同派寺院に譲渡することにし、17年春から移築や用材利用を希望する同派寺院を募った。現在は解体のための足場構築が進む。

 総会所は二つの歴史的側面から高く評価されている。

 第一が真宗史的な価値だ。同派の機関誌「真宗」に掲載された同朋大の安藤弥教授の論考によると総会所の起源は寛政元(1789)年にある。前年の天明の大火で東本願寺は焼失しており、全国から門徒が再建奉仕に集まっていた。僧侶による法話や寄金受け付けの施設として、総会所が置かれたという。

 以降、総会所は本山が焼失するたびに堂宇より早く再建され、工事完了後は法話会場として利用された。門徒たちが浄財を寄せ合い江戸時代には計3回、明治時代に1回建てられた。4代目の敷地が烏丸通の拡幅予定地にかかることが契機となり、より多くの人が仏法に耳を傾けられるようにと、規模を大きくして現在の総会所が新築された。

 真宗史に詳しい同朋大仏教文化研究所の青木馨客員所員は「総会所の歴史には、門徒たちの堂宇再建へのエネルギーと思いが詰まっている。その流れを現代で途絶えさせていいのか」と語る。

 もう一つの意義は建築史上の価値だ。

 総会所は東洋の仏堂建築でありながら、西洋の技法を使っている。また流麗な意匠で後世の建築家たちに影響を与えた元京都府技師の亀岡末吉(1865〜1922年)の関与も確認されている。亀岡は東本願寺の黒書院と白書院、仁和寺(右京区)の勅使門などを設計したが、総会所は亀岡関与作品の中でも大型で貴重とされる。

 京都華頂大の川島智生教授(近代建築史)は「亀岡は和風の建物に洋風のエッセンスを入れたデザインを施し、明治以降の新しい時代を印象づけた。亀岡の晩年の作品としても重要だ」と話す。

 総会所は門徒たちのあつい信仰と、技術者たちの腕の「結晶」だ。宗門財政が厳しい現状も理解できるが、貴重な建物がこのまま失われてしまうとしたら悔やまれてならない。

[京都新聞 2018年3月21日掲載]

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