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(1)ろう女性 40年間の沈黙

 国が「不良な子孫」と決めつけ、不妊手術や中絶を強いた法律があった。71年前、優生保護法は民主的手続きを経て成立、23年前に改正され強制不妊の規定がなくなっても、苦しみ、もがき、沈黙するしかない人たちが、今もいる。「優生」の意識は、私たちの心の中に「刃(やいば)」のように潜んでいるのではないか。教訓を未来への道しるべとするために、時代の証言を探した。

本当は産みたい。でも従うしかなかった

40年前の中絶を証言したろうの70代女性によるメモ
40年前の中絶を証言したろうの70代女性によるメモ

 ラジオが流れる小さな喫茶店に女性が現れた。他の客と席が離れていることが分かり、ほっとした表情を浮かべる。「私が話したとは誰にも言わないで」。絶対匿名が取材の条件。しわで分かるから、と手の撮影も断られた。

 女性は70代。幼いころから耳が聞こえず、発語もできない。人生の多くは優生保護法(1948~96年)があった時代と重なる。「(当時は)子供を作るろうあ夫婦は少なかった」とペンを走らせた後、40年間胸に押し込めてきた思いを、手話で語り始めた。

 小中高とろう学校で学び、卒業後に今の夫と出会った。夫もろう者。交際中、彼の母親から「早く早く」と促されて結婚した。夫は工場で働き、自身は和裁の内職や清掃の仕事で家計を支えた。

 79年、つわりに気づいた。当時30代。子どもをつくると夫婦で決めていたのに、同居していた義母は「お父さんが怒る」と顔をしかめた。義父は義母の再婚相手。夫と血縁関係はない。義父は「ろうの子どもが生まれ、(夫の弟が)結婚できなくなったらどうするんだ」と詰め寄った。義母も迫った。「産むのならば出て行きなさい。さあ、どうするの」。女性は、耳が聞こえなくても不幸だと感じたことはないのに、呼び戻された実家では母親まで「不幸な子どもが生まれたらかわいそう。堕(お)ろしなさい」と畳みかけた。

 ろう学校で聴者の言うことに従うようにたたき込まれていた。「やっぱり聞こえる人が優先。子どもをつくるなと言われたら、それは従うしかない。はい、と言うしかない」

 本当は産みたい。食べ物も喉を通らない。相談相手のいない孤独、苦悩、絶望…。1週間後、屋外をさまよっていると、小さな産婦人科が目にとまり、吸い込まれるように戸を開けた。

 「堕ろしたいです」

 筆談で伝えた。理由を尋ねる医師に「私も主人も聞こえません。親が反対と言って譲りません。私はもうこれ以上、苦しみたくありません」と説明した。医師はうなずき、その日のうちに手術は行われた。

中絶、夫に秘密の避妊措置

 帰宅後、義母に「手術をしたよ」と告げ、2階で体を休めた。夜、仕事から戻った夫は「なんで堕ろしたんだ。僕に相談してほしかった」と激怒した。

 中絶を選んだのは夫への心遣いだった。障害があるが故に義父に疎外されて育った夫がふびんで、これ以上つらい思いをさせたくなかったのに、かえって夫を怒らせてしまった。赤ちゃんに申し訳なく、夫妻はもう子どもをつくらないと約束した。

 後日、母親から実家に呼び戻された。産婦人科に連れて行かれ、今度は避妊のためのリングを子宮にはめさせられた。やはり、聞こえる人の指示には逆らえない。「中絶の苦しみに比べたら、あきらめた方がいい」と観念した。亡き母と2人だけの秘密。夫は今も知らない。

【2019年02月14日掲載】