日本人の忘れもの 知恵会議  ~未来を拓く京都の集い~

「主権者になる」という
若者たちの選択に期待

上野千鶴子
社会学者・立命館大学特別招聘教授
ウィメンズアクションネットワーク理事長
上野千鶴子

◉うえの・ちづこ
1948年、富山県生まれ。京都大大学院社会学博士課程修了。専門は女性学、ジェンダー研究。平安女学院短期大助教授、シカゴ大人類学部客員研究員、京都精華大助教授、東京大文学部助教授(社会学)、東京大大学院人文社会系研究科教授などを経て、現職。2011年4月から認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。

2015年夏は、歴史に残る夏になった。国会前に老いも若きも寄り集って、「民主主義ってなんだ?」「これだ!」と声を挙(あ)げた。政府が国会に提出した安全保障関連法案を「憲法違反」と学者が断言し、「立憲主義」という教科書にしか出てこない用語が、多くの人に拡(ひろ)がった。憲法は主権者が権力を縛るための最上位の法。政府に「言うこときかせる番だ、オレたちが」というSEALDs(シールズ)の若者のコールが、まんま「立憲主義」をずばり説明していた。普段そんなことをしない学者たちが立ち上がり、学生と行動を共にした。民主主義は国会の中にはなかったかもしれないが、国会の外には確実にあった。審議が長引けば長引くほど、「国民の理解が進まない」のではなく、反対に国民の理解が進んで、国会前に出てくる人たちが増えた。それを全国で見ていた人たちも、各地でいろいろなアクションを起こした。
SEALDsの奥田愛基くんと話したとき、彼はこう言った。
「ボクら、18歳で原発事故を経験してるんです」
あの事故はボディーブローのように若者に響いている。
今年から18歳選挙権が施行される。今の18歳は、多感な思春期のときに、「この世の終わり」のような大震災と原発事故とを経験した。そして、この世が終わっても、生きていかなければならないと感じている。あの敗戦を、何歳で経験したかがその後の日本人のふるまいを決めたように、「第二の敗戦」と呼ばれるあの原発事故を何歳で経験したかが、その人のこれからにきっと影響するにちがいない。
今どきの大学生は新聞を読まないが、もしかしたら中高生のほうが、新聞を読む割合が高そうだ。というのは今や宅配される新聞は、親が読むのを子どもも読んでいるにすぎないからだ。下宿している学生には新聞購読の余裕はない。それなら今夏の報道を見ていた18歳の若者たちの方が、もう黙っていられないと思っているかもしれない。
18歳投票権を決めたとき。政治家たちはおそらく若者たちを侮っていたはずだ。だが、高校や中学で「主権者教育」が求められるようになり、政治に関心を持つ若者が増えれば、思惑違いが起きる可能性もある。
円安も、環境破壊も、積み重なる借金も、子育ての困難も、年金の崩壊も、老後への不安も、すべてキミたちがいずれツケを払わされる。こんな世の中を手渡すことになってごめんね、と心から謝りたい気持ちだが、若者たちが「主権者になる」選択をしてくれたら……と期待したい。

上野千鶴子

自然の存在そのものの力強さ
「感じる」ことが必要

大西清右衛門
釜師
大西清右衛門

◉おおにし・せいうえもん
1961年、京都市生まれ。大阪芸術大美術学部卒。93年、千家十職の釜師・大西家16代を襲名。98年、「大西清右衛門美術館」開設、館長に就任。2003年、京都市芸術新人賞、06年に府文化賞奨励賞受賞。「和銑(わずく)」を使った釜づくりを手始めに、中世の釜製作法「挽中子(ひきなかご)」技法、砂鉄による製鉄実験など古式技法の再現、名品の復元に取り組む。

昨年の10月に縁あって、南アフリカに渡航する機会を得た。京都在住の南アフリカの友人家族と現地で落ち合い、ヨハネスブルクから往復約1万6千キロの車での移動から、寝泊まりまで何もかもお世話になった。
彼は学者で、南アフリカの歴史や地学、サファリで出会った植物、動物、鳥類、昆虫について一つずつ懇切丁寧に教えてくれた。
私にとってアフリカ大陸は初めての経験であった。何もかもが新鮮に見える。ものづくりをする私にとって、日常と非日常を体感することが、自分の作品に影響を及ぼす。
私の息子もアフリカでいい経験ができた。一日だけだが、現地小学校に体験入学させていただいた。校長先生に学校の方針などを教えてもらった際、大自然の中で教育を受けられる南アフリカを羨ましく思った。
そこでは小学生一人一人が発表する機会があり、息子にも野外の校庭で日本語での自己紹介の場があった。生徒たちは、異国の言葉でも聞こうとし、一生懸命理解しようとしていた。民主主義といっても平等や大多数というのではなく、まず相手の意見を聞くという姿勢が見受けられた。
廊下の壁には、 (国際協調主義・国際性)、 (民主制・民主主義)、 (自然環境・環境)、(冒険・非日常的な経験)、 (統率力・指導者の資質)、(貢献・公益事業・業務・兵役)と掲示されている。幼い頃から理念を意識できるようにする仕組みなのだろう。
人類が生まれる以前の自然、人間の意思の感じられないものの力強さとは何か。
アフリカ大陸の地で、古代のパンゲア大陸をなにか感じ取れないかと思っていたが、自然の存在そのものに力強さを感じた。
人間が生まれ、文明を作り上げていく。その中で器物が出来上がっていくのであるが、自然からは顕微鏡の世界から大陸の大きさまで、尺度を変えた面白さを感じるのである。
作品を創作する私にとって、「感じる」ことが必要なのである。日ごろ、忘れものをしてよく怒られるが、創作のためには一度頭を空っぽにするということが重要なのかもしれない。

大西清右衛門

「愛を耕す」時代の扉の鍵は
本物の価値を秘める京都にある

加藤登紀子
歌手
加藤登紀子

◉かとう・ときこ
1943年、中国ハルビン生まれ。小学校から中学1年まで京都市で育った。東京大在学中に日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝。71年『知床旅情』で日本レコード大賞歌唱賞を受賞。その他、『百万本のバラ』『琵琶湖周航の歌』などがヒット。循環型社会実現に向け活動するなど環境問題にも関心が深く、国連環境計画(UNEP)の親善大使も務める。

時代の流れを象徴するファッションの世界でも、今年の特徴はゴージャスさや、パワフルな自己主張ではなく、キーワードは「エフォートレス(頑張り過ぎない)スタイル」だそうです。
季節感も年齢差も階層差もあまりなく、なんでもアリの、自由で楽な、着るものの多様さが普通になってきたということでしょうか?
そんな世情の雰囲気には、すごく共感できます。みんなこれ以上、物は欲しくないし、頑張ってお金持ちになるのもいやなんですよね。
政治の世界では「1億総活躍社会」の掛け声で、何としても国内総生産(GDP)をアップさせたいツッパリが続いていますが、それはこうした時代の流れへの逆行とも映ります。
2011年の東日本大震災にみる文明の崩壊は、人の心を大きく変えました。膨大な費用をかけた現代のインフラの根本的な危険性、思いがけない脆弱さを知り、命を守れる、命に即したライフスタイルへの方向転換を人々が求め始めたのです。
若者たちの中でも、生きることを家族と楽しむ田舎暮らしや、半農半Xを選択する方が新しいという価値観の転換が、予想以上に広がっています。
何が何でも大量に生産し、大量に消費されないと立ち行かない国の形を維持していくことに魅力も無ければ、将来性もないと、彼らも理解し始めているのではないでしょうか?
量より質、他力から自力、私有から共有。伝統の中に残っている貴重な素材の発掘、自分の手で作った一つしかないオリジナルなものの中で暮らす贅沢(ぜいたく)、顔の見える関係での相互扶助や物々交換、シェアの形も、今の若者たちのネットワーク社会の中で随分進んできているようです。
昨年のコンサートで、私は真っ白な鹿革のドレスに挑戦しました。1年に何十万頭も駆除しているのに活用していないことへの一つの提案として、ある地域の猟友会の方にお願いして、捕獲した鹿の皮を準備していただきました。今ならギリギリのところで、その技術が残っているんです。でも、社会のシステムがそれに対応できていない、それこそ「モッタイナイ」状況です。日本は歴史の古い国でもあり、モノ造りの得意な国ですから、未来の鍵をたくさん持っていると思います。
古い本物の価値を無尽蔵に秘めている京都に世界中から観光に来る人たちが多いのも、そうした流れの表れでしょう。

「愛を耕す」時代への扉は、京都にこそあると思います。

加藤登紀子

安易な相対主義ではなく
「理を求めるこころ」を

川添信介
京都大学理事・副学長
川添信介

◉かわぞえ・しんすけ
1955年、佐賀県生まれ。京都大文学部と大学院で哲学とその歴史を学ぶ。大阪市立大を経て、96年から京都大助教授、教授。2014年文学研究科長。15年11月から現職。専門は西洋中世スコラ哲学。著作に『水とワイン?西欧13世紀における哲学の諸概念』や翻訳『トマス・アクィナスの心身問題』など。

西洋的世界には合理的思考が強いが日本にはそれが欠けているといった言い方をされることがある。近頃の政治家の言葉を聞くとその通りかなと思ってしまう。確かに、かつて「暗黒時代」と呼ばれていた西洋中世においても、その時代のスコラ哲学は、キリスト教の神秘的で超合理的な性格を持ちながらも、他方では極めて論理的で合理的な思考の産物である。これと同じような思想を日本の歴史の中に見いだすことは難しそうに見える。本当にそうなのだろうか。
日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、イエズス会士として当然のことながらスコラ哲学を学んでいた。そのザビエルは日本人の持つ多くの美質を指摘しているのだが、その中に「論理的思考を好む」人々だという趣旨のことを述べている。また、ザビエルの通訳であった日本人ヤジロウ(アンヘロ)の「日本人は理性(理由・根拠)のみによって導かれる国民」という言葉も紹介している。
それから150年ほど後の新井白石は、キリシタン禁令の中の日本に来た宣教師シドッティを処刑することなく対話・討論を行い、『西洋紀聞』と『采覧異言(さいらんいげん)』を残した。これを見ると、白石の天分はあるにしても、その「理にかなった」議論を追求する姿には目を見張らせるものがある。
また、昨年が生誕300年であった大坂の町人学者富永仲基は、1745年刊行の『出定後語(しゅつじょうごご)』の中で、仏教諸教派の歴史的発展を「加上」という論理によって、特定の宗派の立場によることなく客観的に説明してみせている。また、インド、中国、日本といった異なった文化圏の相違を「くせ」という言葉で表現し、偏することのない冷静な分析を提示してもいる。
このような例は日本人が持っていた一面だけを強調しているのだろうか。これらは、例外的な事例であるという面があるにしても、それでも日本人が確かに持っていたものである。そして、これらがいずれも宗教を核とした多様性の中に、対立というよりは道理・理を見いだそうとするものであったことには注目したい。
現代社会は価値観の極端な多様性によって特徴づけられる。人々は、社会や個人が違えば意見や立場が異なるのは当然だと見なしているようである。しかし、日本も世界も「何でもあり」の安易な相対主義で事足れりとすることはできない。われわれの内に現にあったし、今もあるはずの「理を求めるこころ」は忘れてはならないもののはずである。

川添信介