日本人の忘れもの 知恵会議  ~未来を拓く京都の集い~

京都が持つ本への愛という文化

佐藤 優
作家・元外務省主任分析官
佐和隆光

◉さとう・まさる
1960年、東京都生まれ。85年同志社大大学院神学研究科修了。その後、外務省に入り、対ロシア外交で活躍する。2002年5月に鈴木宗男事件に連座し、東京地検特捜部に逮捕、起訴され、争うも09年6月に執行猶予付き有罪が確定(懲役2年6カ月)。13年6月に執行猶予期間が満了し、刑の言い渡しが効力を失う。現在は作家として活動。

一昨年から母校の同志社大神学部で特別講義を行うようになってから、上洛の機会が飛躍的に増えた。地下鉄や市バスに乗っていて気付いたが、本を読んでいる人が減っている。スマホをいじっている人が多い。スマホのショートメールで使う言葉は語彙数も少なく、文章構造も単純だ。こういう日本語に慣れてしまうと読む力が落ちる。読む力が落ちると、聞く力、書く力、話す力も落ち、国語力が低下してしまう。もっともカフェでは、東京と比べて、本を読んでいる人が多いように思える。
私は1979年から85年まで同志社大神学部と同大学院でプロテスタント神学を勉強した。京都で暮らしていちばん嬉しかったのが、古本屋が充実していたことだ。京都の古書店で、戦前の神学書や伏せ字だらけのマルクス主義の書籍を見つけては、喜んで買い求めた。私の下宿から徒歩5分くらいの、京都大熊野寮の向かいに「不識洞」(現在は閉店)という古本屋があった。神学書、哲学書、マルクス主義関係の本が充実していたので、週に2、3回はこの古本屋に通った。私は、神学者ヨゼフ・ルクル・フロマートカというチェコの神学者を研究していた。同志社大神学館の図書室には、日本でもっとも神学書が揃っているのであるが、1950年に創元社から刊行された『破滅と再建』というこの神学者の主著がどうしても入手できなかった。ある日、「不識洞」の主人が、仙花紙のボロボロの本を見せ、「著者はロマデカとなっていますが、あなたが探している本じゃないですか」と言われた。確かにそうだった。雑談で、私がこの本を探していることを知り、主人が京都の古本屋ネットワークを通じて入手してくれたのだ。そのおかげで、私は卒業論文を書くことができた。「不識洞」を通じて入手した本には岩波書店から刊行された『宇野弘蔵著作集』(10巻プラス別巻)がある。当時この著作集は、古本市場で6万円以上した。「不識洞」の主人は、3万9千円で見つけてくれた。アルバイト代が支払われた日に「不識洞」に行くと、主人は「3万7千円でいい」と2千円値引きをしてくれた。私が感謝するとともに理由を尋ねると、主人は「この本は原価であなたに譲ることにした。あなたは一生この本を大切にしてくれると思う」と答えた。外交官になってからもこの著作集を私はモスクワに持っていき何度も繰り返し読んだ。職業作家になってからもこの著作集のお世話になっている。京都が持つ本への愛という文化をいつまでも大切にしたい。

佐和隆光

自らの中にある野性を覚醒させ
失われた詩想と反抗心を取り戻す

篠原 徹
滋賀県立琵琶湖博物館 館長
篠原 徹

◉しのはら・とおる
1945年、中国長春市生まれ。京都大理学部・文学部卒業。岡山理科大助教授、国立歴史民俗博物館教授、大学共同利用機関法人・人間文化研究機構理事を経て、現在滋賀県立琵琶湖博物館館長。専門は民俗学、生態人類学。著書は『海と山の民俗自然誌』『自然を生きる技術』『自然を詠む』『酒薫旅情』など。

もはや戦後ではないといわれてからでもすでに久しい年月が経ったけれども、敗戦の年に生まれた私にとってはやはり戦後72年というほうがこの時代の歴史や文化を語るときにはなじみやすい。1945年は日本の近代を区分するときやはり画期となるし、文化や文明というものもその経済的基盤によって支えられるという意味では日本の高度成長期もやはり画期となる。
日本の近代は1年後には150年になる。一世紀半の日本の近代の前半は欧米の近代化への模倣と追従であり、最後の国内戦争である西南戦争と三つの対外戦争という戦乱に明け暮れた時代であったといっていい。後半の戦後は世界史的にみても希有といっていい70年間の国内的な平和が続いた。国外ではゲリラ戦も含めて異常なほど戦争が多い。
こうした大きな歴史の中で右往左往する個人の精神史とは何であろうか。この150年になる日本の近代のなかで失われた精神とは一体何であろうか。私はそれは「詩想と反抗心の喪失」ではないかと思っている。4年前に亡くなった私の友人は人類学者であったが、彼は若いころ「人類学は詩を書かない詩人なんや」といってアフリカの一角で悠々たる生活を営む焼畑農耕民の研究に没入していった。優れた詩は私たちの精神を支えることがある。それは人間のあってほしい姿を描いたり、人生の断片に垣間見せる人間の本源的な姿を直感的に掬い取っているからである。そして時には国家や権力に対して鋭い批判や反抗を詠うものでもある。人間は自己家畜化動物であるという言い方もあるけれども、私たちの精神はどこかこの数十年の間に国家や権力に飼い慣らされてしまったのではないかと思うことがある。あるいは自己家畜化という言い方に倣えば、自ら創った放縦で無節操な文化に飼い慣らされたというべきか。
飼い慣らされない詩想や反抗心は教育や鍛錬によって養われるものではないだろう。おそらくそれは文明に対置できる唯一の人間の存在のありようである野性を自覚することであろう。この野性とは文明の原理に対して自由や平等を原理的なところから再考するという意味である。私たちは自らの中にある野性を覚醒させれば失われた詩想と反抗心を取り戻すことができる。その力こそが未来を切り開いていく原動力になるのではないか。

篠原 徹

人間は人の間に生きている

ジェフ・バーグランド
京都外国語大学 教授
ジェフ・バーグランド

◉ジェフ・バーグランド
1949年、米国南ダコタ州出身。ミネソタ州カールトン大に入学。宗教学を専攻。20歳で同志社大に留学。その後、同志社高校に就職し以降22年間教諭を務める。92年大手前女子学園教授、帝塚山学院大教授を経て、2008年京都外国語大教授に就任。京都国際観光大使も務める。著書に『日本から文化力―異文化コミュニケーションのすすめ』など多数。

「人間関係中心文化」。私が最も好きな日本文化の一つです。毎日のように生活の中で聞こえてくる言葉に、「よろしくお願いします」があります。この言葉は、曖昧な表現ですのでなかなか英語には訳せません。日本は受信者責任型文化です。受信する側が責任を持って解読しなければいけない文化です。この「人間関係中心文化」を支えているのが日本人が世界一と称される「受信力」だと思っています。一方、英語は発信者責任型文化になります。発信する側が責任を持って相手に伝えないといけない。つまり、ただ単に「頑張りましょう」ではなく、職場なら「納期を守って利益を出しましょう」のように、立場と内容を明確に表現し具体的に「よろしくお願いします」に代わる言葉を表現しなければいけません。私は「よろしくお願いします」を日本語がわからない外国の人に説明する時には「良い人間関係を保つためにそれぞれの役割を果たしていきましょう」という意味だと説明し、日本人にとってはこの日本的表現こそ、平和で素晴らしい人間関係を築きあげるために使用しているのですよと好意的に教えます。
そういう私も実は自分にそう言い聞かせています。なぜならアメリカで培ってきた発信型の自分は抜けないものだからです。発信型の人の特徴は、なんでも自分から始まる、自分の力で生きているという錯覚に陥りやすいのです。私も恥ずかしながら例外ではありません。しかし、日本に来て日本語を教えてもらい、「人と人との間に生きる」感覚を初めて覚えました。これはきっとアメリカで暮らしていたら絶対感じることのできない特別な感覚だと思います。
最近、日本人の中で、「人と人はつながって生きている」ことや、「人は人の間で生きている」という意識が少し希薄になってきているではないかと思っています。私も今年で48回目の新年を京都で迎えることができました。振り返ればこれまでたくさんの人に出会い、さまざまな人にお世話になってきました。この文章は和歌山での仕事を終え、妻の待つわが家に帰る電車の中で書いていますが、窓の外に点々とついている家々の明かりを見ながら、アメリカにいる家族、ご近所の皆さん、恩師、同僚、そしてこれまでのたくさんの教え子の皆さんなど、これまでもそしてこれからも私が長年お世話になっていく皆さんを思い出しています。新年のご挨拶はやっぱり、「今年もよろしくお願いします」。私も皆さんも忘れてはいけないこと、今年も「人間は人の間に生きているということ」。京都の皆さん、今年もよろしくお願いします。

ジェフ・バーグランド

気候変動や地震、化石など
地学の領域は幅広い

瀬戸口烈司
京都市青少年科学センター所長
瀬戸口烈司

◉せとぐち・たけし
1942年、京都市生まれ。京都大理学部卒。米、テキサス工科大大学院修了、Ph.D.京都大大学院教授在職中の1999年から2003年まで京都大総合博物館館長。08年から12年まで放送大京都学習センター客員教授。10年から京都市青少年科学センター所長。専門は地質学、古生物学。南米コロンビアと中国で中生代、新生代の哺乳類化石の発見に成功した。

ここ数年の地球環境の変動はすさまじい。ラニーニャ、エルニーニョ現象が繰り返し起こり、日本の気候もその影響をもろに受けた。特に2010年は、夏の猛暑の後、冬は北極振動の影響で豪雪に見舞われた。台風も頻発した。12年には、爆弾低気圧が猛威を振るい、竜巻も来襲した。竜巻というのは、北アメリカの地方的な現象で、日本では起こらないと思っていたので、日本で竜巻の被害が出たことには驚いた。昨年の夏は、10年に続いて連日30度を超す猛暑となった。
気象の現象だけではない。地震の被害が日本の各地で相次いだ。11年の東日本大震災は記憶に新しい。地震に伴って津波が襲来した。16年には津波は起こっていないが、熊本と鳥取で巨大地震が発生した。
このような気候変動や地震などの現象は、理科の教科の中では地学の領域に属する。私は08年から12年まで、放送大学京都学習センターの客員教授として、地球環境の変動を統一テーマにして講義をしたが、話題には事欠かなかった。30人ほどの学生を相手に講義をするのだが、ほとんどの学生は高校時代に地学の授業を履修していない。2、3人程しか地学の授業の経験がないのである。これは他人事ではない。私だって高校時代に理科は、生物、物理、化学しか履修していない。だから放送大学では、学生は高校時代に地学を勉強していなかったことを前提に、講義を進めなければならなかった。
京都大学の入学試験でも、ほとんどの学生は、理科の科目は物理か化学を選択する。生物を選択する学生もいるが、地学を選択する学生は本当に少ない。地学は不人気なのである。
生物の進化は、化石の研究を基礎にして考察する。日本では、化石の研究は地学の領域に入る。貝類の化石などの地学の分野は人気がないが、恐竜となるとがぜん話が異なる。恐竜は独立した別個の存在なのである。
私は、現在、京都市青少年科学センターの所長として、一年に数回、所長講演を子ども向けに行っている。恐竜をテーマに話をすると、子どもは目を輝かせてくる。質問もとめどもなく続く。ところが、それ以外の化石には目もくれないのである。
地学に関するいくつかの話題には特に高い関心が集中するが、それらはきわめて断片的である。
地学は、全体として本当に人気がないのである。残念でしようがない。

瀬戸口烈司