日本人の忘れもの 知恵会議  ~未来を拓く京都の集い~

命の源である水を尊ぶことは
重大な使命である

森 清範
清水寺貫主
森 清範

◉もり・せいはん
1940年、京都市生まれ。15歳で清水寺貫主大西良慶の下、得度、入寺。花園大卒業後、真福寺住職などを歴任。88年、清水寺貫主・北法相宗管長に就任。現在、全国清水寺ネットワーク会議代表、文人連盟会長。著書に『見える命 見えないいのち』『こころの幸』など多数。

正月早々いささか自慢話のようになって恐縮ですが、「清水寺」というと、私どもの清水寺を真っ先に思い浮かべる方が多いのではないかと思います。それはとてもありがたいことです。しかし、実は「清水寺」という寺は北海道から九州まで全国に90余りを数え、それぞれの清水寺が地元において篤い信仰の霊場となっております。もっともその呼び名は「きよみずでら」よりも、「せいすいじ」と名乗る寺が多数派を占めております。
共通しているのは、いずれも当然のごとく水が縁起となっており、必ず観音さまを祀っておられることです。仏教の世界観では、万物に仏が宿るとされ、水は観音さまの化身であるとされています。
1992(平成4)年から、私どもはこうした全国の清水寺に呼び掛け、「水は命の源である」というテーマの下、「全国清水寺ネットワーク会議」を立ち上げました。2年に一度、参加の清水寺から会場を選んで大会を営み、そこに全国の清水寺の代表が集い、水についてさまざまな話し合いをします。また、毎年4月3日を「四三ず」と読んで「水の日」と定め、京都の清水寺に全国の清水寺の代表が出仕して、水に感謝の誠を捧げる法要を行っています。正月を迎えると早くも、桜咲く頃の今年の「水の日」が楽しみになります。
水は空気と同様、いつもあって当然のごとく思われていますが、私たちにとって、いや地球にとって、もっといえば宇宙全体にとって、水がかけがえのない大切なものであることは皆さんも十分承知のことと思います。にもかかわらず現実は水への畏敬の念が感じられません。かつて日本の台所には火の神とともに水の神が祀られていました。日本は水に恵まれていますが、世界には水汲みのために学校に行けない子どもたちがいます。汚れた水のために多くの人が病気で亡くなっています。千二百年の歴史を有する清水寺にお仕えする私どもは、水を敬い守る使徒としての役割を担っていると胆に銘じています。全国清水寺ネットワーク会議に参加の清水寺の方々も同じ思いでしょう。命の源である水を尊ぶことは、宗教者にとり重大な使命である―毎年の法要の度に、その思いを強くします。
人は清らかな水に囲まれてこそ、安寧と幸せを享受できます。この全国清水寺ネットワーク会議の呼び掛けが、水の環境浄化を進める世界的な動きの水先案内になればと心より願っているところです。

森 清範

清涼飲料各社奉納のミネラルウォーターを供えて営まれた「水の日」讃仰法要
(2016年4月3日)

物事の始めから終わりまで
すべての筋道「あとさき観念」

山本容子
銅版画家
山本容子

◉やまもと・ようこ
1952年、埼玉県生まれ。京都市立芸術大西洋画専攻科修了。80年京都市芸術新人賞、83年韓国国際版画ビエンナーレ優秀賞など数多くの賞を受賞。銅版画に加え、本の装丁や舞台美術など幅広い分野で活動している。近年は医療施設での壁画制作に取り組む。近著に『Art in Hospital スウェーデンを旅して』。

今日の仕事を終え、絵筆を洗いながらふと考えた。クロテンの毛を集めた細い水彩用の筆は高価なモノ。絵の具を含ませても弾力があり、気持ちをのせて描くことができる大切な道具。だから、用心して後始末をする。
祖母が見たら「始末なことやな。」と、あとさき踏まえた行為を誉めてくれたに違いない。始末なことは、質素につながる言葉だが、モノを大切にしている心とも言える。
子どもの頃、台所で料理の手伝いをしながら、あとさきを見ずに野菜を洗っていたら叱られた。あとさきとは、物事の始めから終わりまですべての筋道なわけだから、あとさき知らずでは周囲を気にしない、でたらめな人になると教えてくれた。料理は上手にうまく出来上がれば良いだけでなく、周囲の人のことも考えに入れる心遣いが必要なのだと。例えば、食事をする人が揃ったかどうかといったことを確かめて火加減をする。そして、野菜などの材料にも心を用いて茹で時を決めることは、始末につながる。
こんなことを思い出したのは、浪費社会といわれて久しい現代に、あとさき観念が失われていると感じるからだ。浪費というのは、贅沢にお金を使うことではない。むしろ、大切な時間を失い感性を貧弱にしていることだと思う。例えば、時間の節約になり便利だからという理由で、買ってきた惣菜をプラスチックの容器のまま食べること。そうすると、食器は洗わずに済み、台所はいつもピカピカだから気持ちがよいという。それなら、陶器の皿や漆の椀は必要なくなるわけだから、毎日の食事の準備から始まり、作り、食べ、洗い、片す間のモノの質感と対話する時間も失われていることになる。
あとさきの筋道には、そこで出合うすべてのモノの質感を手に入れることが肝心だと思う。なぜなら、この質感というのが、モノの成り立ちにとって必要な創造性の存在を伝えてくれるからだ。質感の違いに気が付けばつくほど、個性は豊かになるだろう。そして、芸術を愛する心も育つだろう。
また、用心して筆を洗うことを続けていると、品質の変化を見逃さなくなる。品質が劣化してくると、時代の変化を身に沁みて感じることができる。未来において、この筆は存在するのだろうかという不安を、リアルに感じることができる。筆を洗う時間は、毎日を支える明日への準備の時間であると同時に、未来を思う時間なのだ。
だからこそ、後始末は責任を持ち、用心深くしたいと思う。

山本容子

「愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり」

横山俊夫
静岡文化芸術大学 学長
横山俊夫

◉よこやま・としお
1947年、京都市生まれ。京都大法学部卒。オックスフォード大哲学博士。京都大人文科学研究所教授、大学院地球環境学堂三才学林長、京都大副学長、滋賀大理事などを経て現職。専門は文明学。主な共同研究編著に『貝原益軒―天地和樂の文明学』『二十一世紀の花鳥風月』『ことばの力―あらたな文明を求めて』『達老時代へ』など。

むかし元旦には豹尾神をはばかった。陰陽道八将神のうち猛神計都星の精とされ、元旦にその方角に向かい小便すれば祟ると信じられた。この信心は江戸期各地にあった。たとえ生理的欲求でも、時と所をわきまえなければエライことになると。陰陽道が盛んな頃、人々の活動は方選び日選びで制御されていた。
今は陰陽道と聞いて「イワシの頭を拝むに等しい」と笑う人が多い。しかしその人も節分には恵方を向き太巻きをほおばる陰陽道ぶり。じつは陰陽家の信心は中身より考え方が面白い。基本は三点。第一に、人の行いは吉か凶かでユルく語られる。めでたいかどうかが肝心。単一基準で善か悪かに峻別しない。第二に、吉凶は関わる人や時や所の組み合せの質によるとみる。人はカクアルベシと決めつけない。第三に、吉凶判断が宇宙物語で示される。個々の性質を陰陽や木火土金水といった天地の基本範疇のいずれかに配し、その組み合せを問う。それ故当事者は、吉なら大いに気張り、凶と知って深く慎む。たとえば男女のいさかいも「水性と火性の相性がどうも」と天地相克を理由に鎮めた。
さて今や世界中が内に向かう。他者や他国のことより自身や自国が大事との大声。鎖国期日本がそうであったように、安定に向かう世は内向きがつきもの。ただ、昔の内向きは自足精神と一体であった。しかし今は内向きと自らの欲求拡大が合体して離れない。他国との関わりで幅を利かせるのは、悪口雑言、ハイテク武力、札束の力である。これらが渦巻く人為環境が凝り固まれば、数々の無慈悲な〝現代版豹尾神〟と化す。
地球規模でいえば、万人が崇める神もなく、武力がものを言っても期間限定でしかない状況で、せめてこのような人為の猛神への陰陽道的なカマエを共有したい。内向き組を大小問わず招き入れ、全体として吉の相性を保ち、凶の方位だけは共に犯さぬよう語り合うオトナの習いが広まればと願う。神という言葉を避けたいなら〝破局リスク源〟でよい。そのあしらいを求めて内向者たちが静かに言葉を交わし光明の兆しを見いだすなら、産業革命以来はじめて古代漢語の「文明」すなわち天地人アヤなし明らかな世への一歩となる。
今の世界では多神世界と聞くだけで拒絶反応を示す人が多い。いかに語るかが鍵。「愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり」との800年ほど前の言葉があらためて光る。

横山俊夫

『天保新選 永代大雑書萬暦大成』から

伝統から絶え間なく何かを引き出し
新しい創造に結びつける

樂吉左衞門
茶碗師
樂吉左衞門

◉らく・きちざえもん
1949年、京都市生まれ。東京芸術大を卒業し、2年間イタリアに留学。81年、桃山時代から樂焼を伝承する千家十職の樂家15代目を襲名。第1回織部賞など数多くの賞を受賞。自身が館長を務める樂美術館では、樂家歴代の作品を展示。著書に『定本 樂歴代』など。現在、京都国立近代美術館で「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」が開催されている。

十数年前、ブータンで知り合った日本人の地質学者から聞いた話だ。険しい山の中を探索中、一人の農民に出会ったという。「過酷な労働の日々に、何の喜びがあるのだろう」というつぶやきを、思いも掛けず通訳が伝えてしまった。失礼なことを言ってしまったと恐縮していたら、意外にも農民は呵々大笑。「お天道様に見守られ、鳥のさえずりを聞き、気持ちの良い風が吹くなか、実りの成果を手にすることができる。これ以上、何が必要かね」と返されたというのだ。自然との付き合い方が絶妙で、良くできた禅問答のようでもある。
樂家玄関には本阿弥光悦筆と伝わる筆跡で「樂焼御ちゃわん屋」の暖簾を掛けている。15代の私まで代々、土をこねて備長炭の火で茶碗を焼いてきた。焼き物は人為的なデザインも施すが土、火という本来、畏怖すべき自然に託してできあがるもの。制作過程でのクライマックスは窯だ。窯の中に茶碗一つを入れて焼き上げる仕組みは、宇宙の生成と同じ不思議さを持つ。そんな思いもあって、現在、京都国立近代美術館で開催中の展覧会は「茶碗の中の宇宙」と名付けた。
制作に臨む時は「どこかで自分を超えた存在とつながりたい」という気持ちがある。自分自身の創作意識を発露したいとの思いと、自然が手を貸してくれたものとがうまく手を握ってくれれば、「ああ良かった」という茶碗ができあがるのだろう。
展覧会場には、桃山時代に樂焼を興した長次郎からの代々の作品を並べた。「芸術」「職人」という言葉もない頃だ。長次郎が何を考えていたか。私は父から手ほどきを受けず、代々の作品を見て徹底して考え、感じるものを受け止めてきた。表現は父や祖父から受け継ぐノウハウではない。自身の世界との関わり方、内面が成立していれば生まれてくる。先祖の14人は、それぞれ長次郎に対する見方が異なる。長次郎の創作の秘密を探っていくことは、自分との対話でもある。
代々すべてが優れていたわけではなく、時代によって技にも浮き沈みがあった。しかし、すべての代の存在が、後世への創作のエネルギー源になっている。作品を見た子孫が「もっと頑張らないと」「先祖とは違う作風を作りたい」と受け止めるからだ。伝統からは、絶え間なく何かを引き出して新しい創造に結びつける必要がある。様式をまねるだけでは消費され、やせ細っていくだろう。樂家が次の代に教えない方針を貫いてきたのは、創造を続けるための戒めだ。展覧会で代々の思いが広く伝われば、と願っている。

樂吉左衞門

15代吉左衞門作 巌上に濡洸ありⅢ 焼貫黒樂茶碗
銘 「巌裂は苔の露路 老いの根を噛み」 樂美術館蔵