日本人の忘れもの 知恵会議  ~未来を拓く京都の集い~

「忘」・書=森 清範 清水寺貫主 
写真=中田 昭

ウスビ・サコ

◉ウスビ・サコ
1966年、マリ生まれ。北京語言大、南京東南大を経て来日。京都大大学院工学研究科建築学専攻博士後期課程修了。博士(工学)。研究対象は、居住空間、コミュニティー、世界文化遺産など。著書に『知のリテラシー・文化』『住まいがつたえる世界のくらし―今日の居住文化誌』『マリを知るための58章』。2018年4月より京都精華大学長に就任予定。

文化を体現する
建築空間の再興を

ウスビ・サコ
京都精華大学人文学部 教授
ウスビ・サコ

1991年以来、京都で生活しているが、いまだに京都の居住リテラシーが身に付かない。京都は独特のまちの構造に、独特なコミュニティー形式があり、また「京都人」のみがシェアする暗黙の生活コード(挨拶、打ち水、会話、しきたりなど)が存在しており、「よそ者」には分かりにくい。京都のこの生活文化を支えてきたのは、京都の住居とまちの形態である。
私が京都のコミュニティーに関心を持ち始めたのは、所属大学院の研究室が主催した町家型集合住宅研究会に参加したことにさかのぼる。当時、都心部の町家とマンションの共存が問われていた。また、2000年代に行った調査では、町家とマンションが共存する数カ所で、お住まいの方々から町内会活動について話を伺った。マンションに新しい住民が入居することによって地域社会の秩序が乱れ、また高さのあるマンションであれば、プライバシーが侵害されるのではという懸念を持っておられた。多くの地区では、新住民の町内会活動への参加などを条件に、マンションの建設に合意したと聞いている。京都のまちでは住居で挟まれる道も重要な空間で、住民同士の関係を調整する役割を担っていた。しかし近年、町家で行われる仕事が減り、空き地が駐車場やマンションに変わり、残った町家の一部はカフェなどに転用されている。生活文化を支えてきた町家と道の役割の一部が失われている。
私の母国マリの古都ジェンネは、市街の中心にある大モスクで広く知られている。大モスクと市街地が世界文化遺産に登録されて以来、居住用の建物は基本的に泥で造るように定められている。この泥建築の建設活動を担うのは大工で、バレ・トンという大工組織は一種の伝統的な職能集団である。ジェンネではかつて、各家庭には決められた大工がついていて、建設や修復の仕事は、その大工または後継者に代々引き継がれてきた。以前は口約束のみであった建築の発注が、近年は書面化されることが増え、お清めの儀式などの無形文化も減少している。これもまた、合理性によって、文化継承に重要とされてきた施主と大工の関係が変化している。
建築空間は人間の生活行動の場として形成され、その創造と人間の生活文化は密接な関係にある。近年、ジェンネや京都のように、建物を法令で保存する活動が多く見られる。しかし、建物は法令で保存できても、生活文化の継承は難しい。利便性、合理性を求める今の時代は、建築空間の文化性が問われるほど建築を変えてきた。文化を体現する建築空間の再興を望んでいる。

ウスビ・サコ

◉ウスビ・サコ
1966年、マリ生まれ。北京語言大、南京東南大を経て来日。京都大大学院工学研究科建築学専攻博士後期課程修了。博士(工学)。研究対象は、居住空間、コミュニティー、世界文化遺産など。著書に『知のリテラシー・文化』『住まいがつたえる世界のくらし―今日の居住文化誌』『マリを知るための58章』。2018年4月より京都精華大学長に就任予定。

大原千鶴

◉おおはら・ちづる
京都・花背の料理旅館「美山荘」の次女として生まれ幼少の頃から料理に触れて育つ。雑誌やテレビ、料理教室、講演会などで活躍。現在、NHKEテレ「きょうの料理」に出演中。NHKBSプレミアム「あてなよる」「京都人の密かな愉しみ」の番組出演や料理監修も手掛ける。『大原千鶴の酒肴になるおとな鍋』(世界文化社)ほか著書多数。

本当の豊かさを生み出すのは
自分自身の心の持ちよう

大原千鶴
料理研究家
大原千鶴

明けましておめでとうございます。
皆さま晴れ晴れとした新年をお迎えのことと存じます。
日々慌ただしく次々と社会情勢が変わる中でも、新年のこの1日はやはり心改まり厳かな心持ちになるものです。今日を迎えるために家を掃き清め、拭き上げ、家中をお正月のしつらえに整えおせちを作る。年末の大掃除。小さい頃は凍りそうなバケツの水で雑巾を絞るのがつらくてつらくて、「いややなぁ。なんでこんなに必死でそうじするんやろ」と思ったりもしました。でも白い息を吐きながら、寒さも忘れて掃除に没頭する大人たちの顔を見ると、厳しさの中に荘厳な表情がうかがえ、子ども心に気持ちが引き締まる思いをしました。
おくどさんの湯気の向こうでは、女性陣が忙しそうに立ち働き、次々とおせちが出来上がる。その様もまた見事なものでした。手間を掛ける。手当てをする。人の手のなんと器用で便利で温かいことか。家にも食材にも花にも神様が宿っている。そんな気持ちを、人の手を通して暮らしに現わす。使う道具、使う人もそこには使い込まれた「用の美」を感じます。
大人になり、こんなに便利でなんでもある時代になりましたが、お正月を迎える時はやはり気持ちが引き締まります。
いろいろな作業をこなしながら、「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」と口では大変そうに言いつつも、どこかそれを愉しみに感じる。そんな節が私たちにはあるような気がします。
京都に暮らすと、そんな季節の一節一節をこなす中に、日々の暮らしを細やかに豊かに生きていくための知恵が詰まっていて、それを整えることで心と暮らしが整っていく。
季節を生活にふんわりと取り入れ、またこの新年を迎えることができる喜び。特別豪華なお正月飾りがなくても、一本の松の葉だけでも新年を感じることができる。そんな風にささやかに暮らしを楽しむ謙虚さを子どもたちにも伝えたい。いくら、何でも手に入り、生活が便利になっても、本当の豊かさを生み出すのは自分自身の心の持ちようだと思いますから。
文化というものは暮らしの中にあり、そんな暮らしを愉しむ心の余裕が、人間を幸せな世界へ連れて行ってくれるのだといつも感じています。

大原千鶴

◉おおはら・ちづる
京都・花背の料理旅館「美山荘」の次女として生まれ幼少の頃から料理に触れて育つ。雑誌やテレビ、料理教室、講演会などで活躍。現在、NHKEテレ「きょうの料理」に出演中。NHKBSプレミアム「あてなよる」「京都人の密かな愉しみ」の番組出演や料理監修も手掛ける。『大原千鶴の酒肴になるおとな鍋』(世界文化社)ほか著書多数。

鎌田浩毅

◉かまた・ひろき
1955年生まれ。東京大理学部卒。97年より京都大大学院人間・環境学研究科教授。専門は地球科学・科学教育。科学を面白く解説する「科学の伝道師」。京大の講義は毎年数百人を集める人気。著書に『日本の地下で何が起きているのか』(岩波書店)、『地球の歴史』(中公新書)、『地学ノススメ』(ブルーバックス)、『座右の古典』(東洋経済新報社)など。

「太平洋の懸け橋」新渡戸稲造

鎌田浩毅
京都大学大学院 人間・環境学研究科 教授
鎌田浩毅

若き日に「太平洋の懸け橋」になりたいと一念発起しアメリカに渡った青年がいる。後に京大と東大の教授を歴任し、国際連盟でも活躍した新渡戸稲造だ。1984年に発行された五千円札の肖像画としておなじみかもしれない。
彼が38歳の時に英文で刊行した『武士道』は、「太平洋の懸け橋」を具現した著作である。日本人の精神的な柱の根幹に武士道があることを世界に向けて紹介し、大きな反響を巻き起こした。
西洋と日本の懸け橋になりたいという考え方は、他の仕事にも生きている。彼の読書論には、著者と読者の懸け橋において必要なポイントが書かれている(『新渡戸稲造論集』岩波文庫)。現代と同じく当時の読者も、どの本を読めばよいか、いかに読めばよいかについて大いに迷っていた。それに対して新渡戸は、読書の初心者に対して具体的なアドバイスを行う専門家の必要性を説き、自ら古典の読み方を丁寧に教示した。
新渡戸の懸け橋への情熱は現在まで生きている。英文で書かれた『武士道』は日本精神を知らない西欧人へ解説するだけでなく、その日本語訳は、今の日本人に自分たちのアイデンティティーを知るためにも役立っている。つまり、「西洋人と日本人」および「過去の日本人と現代の日本人」という二つの懸け橋に成功しているのだ。
かつて私は、新渡戸のように「懸け橋する人」を「ブリッジマン」と呼んだことがある(『ブリッジマンの技術』講談社現代新書)。コミュニケーションの基本に「相手の関心に関心を持つ」という原理があるが、新渡戸は大学教育でも国際政治でも多くの領域でこの原理を活用した。
元来、日本人は相手のことを慮ることに得意であり、それをベースにして世界的なブリッジマンが誕生したのだ。例えば、『武士道』の第六章「礼」で、他者の気持ちを思いやる心が外へ現れなければならないと新渡戸は説く。そして地球科学を専門とする私も、彼に倣って、火山や地震を市民に解説する「科学の伝道師」を仕事の柱に据えてきた。
岩手県の花巻市にある新渡戸記念館には彼の足跡が展示されている。彼は二十三巻に及ぶ全集(教文館)を残したが、いずれも文章が明快で読者の姿を忘れていない。私は「日本人の忘れもの」を呼び覚ます際に、『武士道』は一つの契機になると思う。当時の西洋人読者と未来の日本人読者の双方をインスパイアするブリッジマンの技術に、私はあらためて感動するのである。

鎌田浩毅

◉かまた・ひろき
1955年生まれ。東京大理学部卒。97年より京都大大学院人間・環境学研究科教授。専門は地球科学・科学教育。科学を面白く解説する「科学の伝道師」。京大の講義は毎年数百人を集める人気。著書に『日本の地下で何が起きているのか』(岩波書店)、『地球の歴史』(中公新書)、『地学ノススメ』(ブルーバックス)、『座右の古典』(東洋経済新報社)など。

唐澤太輔

◉からさわ・たいすけ
1978年、神戸市生まれ。慶應義塾大文学部卒、早稲田大大学院社会科学研究科修了。博士(学術)。早稲田大助手、助教を経て、現在、龍谷大世界仏教文化研究センター博士研究員。専門は哲学・倫理学、文化人類学、南方熊楠研究。著書に『南方熊楠―日本人の可能性の極限―』『南方熊楠の見た夢―パサージュに立つ者―』など。

鎮守の森にみる「相依相待」「縁」というもの

唐澤太輔
龍谷大学世界仏教文化研究センター 博士研究員
唐澤太輔

「とにかく神林ありての神社なり」 日本が誇る知の巨人・南方熊楠の言葉だ。神林すなわち鎮守の森あってこその神社―。熊楠は、日本古来のこのシンプルかつ根本的な在り方を決して忘れてはならないと訴え続けた。
明治時代に強行された神社合祀政策では「一町村一神社とせよ」という政府による勅令の下、神社と鎮守の森が次々と破壊された。これにより、全国に約20万社あった神社のうち、約7万社が取り壊されたといわれている。古来、神林として大切に守られてきた樹木がなぎ倒され、それらは業者に売られ、官吏たちは私腹を肥やしていた。
熊楠は「エコロギー ecology」という、当時としては極めて斬新な言葉と概念を掲げて、この神社合祀政策に反対運動を起こした。彼は、鎮守の森の風景や生態系は複雑に絡み合ってできており、それをひとときの利益のために破壊してしまうと、取り返しのつかないことになると訴えたのだ。
熊楠は「小生思うに、わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅ならん」と述べている。日本の鎮守の森を中心とする天然風景は、マンダラのように絶妙なバランスの上に成り立っている。熊楠はこのことを心の底から理解していた。彼の場合、頭ではなくその心身で感得していたといった方が良いであろう。森の動物の王様である「熊」と、植物の中でも特に長い生命力を持つ「楠」をその名に持つ熊楠にとって、鎮守の森が破壊されることは、自分の身を伐られる思いだったに違いない。
鎮守の森における生態系は、まさに相依相待、一つのものが存在するためには他のものに依っていて、他のものなしにはその一つのものもあり得ないという関係性を保っている。鎮守の森だけではない。人と人、人と自然、人と動物の関係もそうだ。私たちの世界は、無尽の網(ネットワーク)でできており、それは科学的な思考だけでは決して計り知ることはできない。この無尽の網の関係を単純な直線的関係に還元しようとするとき、さまざまな問題が起こるのではないだろうか。
熊楠は言う。「今日の科学、因果は分かるが、縁が分からぬ。この縁を研究するがわれわれの任なり」。 彼は、直線的な原因と結果の関係の上位に「縁」があると考えた。彼のいう「エコロギー」とは、まさに偶然性をはらみ、複雑に絡み合う縁のことだった。
今も多くの神社には鎮守の森が広がっている。「相依相待」「縁」、このような事柄を少し考えながら初詣に行ってみてはどうだろう。日本人の心にセットされている決して忘れてはならないものが想起されるのではないだろうか。

唐澤太輔

◉からさわ・たいすけ
1978年、神戸市生まれ。慶應義塾大文学部卒、早稲田大大学院社会科学研究科修了。博士(学術)。早稲田大助手、助教を経て、現在、龍谷大世界仏教文化研究センター博士研究員。専門は哲学・倫理学、文化人類学、南方熊楠研究。著書に『南方熊楠―日本人の可能性の極限―』『南方熊楠の見た夢―パサージュに立つ者―』など。

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