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甲子園100勝、衣笠さん墓前に報告を 龍谷大平安、偉業に挑む

京都市内で原田監督(左)と笑顔で写真に納まる衣笠さん=2017年11月、原田監督提供
京都市内で原田監督(左)と笑顔で写真に納まる衣笠さん=2017年11月、原田監督提供

 4月に亡くなったプロ野球元広島の衣笠祥雄さんは、母校・平安高(現龍谷大平安高)の甲子園通算100勝を心待ちにしていた。11日の初戦で史上2校目の偉業に挑むチームに、高校の同級生は「衣笠も見守っているはず」と期待を寄せる。

 「衣笠は平安の甲子園100勝を本当に楽しみにしていました」。同高で衣笠さんと同級生だった三間康和さん(71)=京都市山科区=は語る。クラスも同じだった三間さんは衣笠さんがプロ契約した後、「新京極にステーキを食べに行こうぜと誘われた」。

 広島時代は甲子園球場で試合がある時は3日に1度は出会い、飲み明かしたという。引退後も家族ぐるみの付き合い。そんな親友だからこそ知る衣笠さんの母校愛がある。

 「甲子園での『祝100勝』が近づいて来ました。おめでたい!おめでたい!」。昨夏の京都大会準決勝の後、衣笠さんからメールが届いた。だが母校は翌日の決勝で敗退。今春の選抜大会出場も逃し、病気と闘っている衣笠さんの様子を知っていた三間さんは「だいぶショックを受けていた。体調が良くなかったからか、『時間がない』と言っていた」と思い返す。

 昨年11月30日、衣笠さんは京都を訪れた。高校時代の恩師の米寿を祝う会が市内で開かれ、同じく教え子だった硬式野球部の原田英彦監督(58)も同席した。野球談議に花を咲かせた席で、「100勝頼むぞ」と熱い激励の言葉。2人で笑顔で写真に納まった。これが最後の対面になった。

 今夏、原田監督はその写真をかばんに入れ、京都大会を戦った。準決勝の7月25日は衣笠さんの納骨が京都市内で行われ、三間さんは「衣笠が京都に帰ってきました!応援してくれてます」と原田監督にメールを送った。監督が決勝前に選手に紹介すると、試合は快勝。監督は涙ぐんで偉大な先輩に感謝した。

 今月8日、三間さんは大阪府池田市にある同高の宿舎を訪れ、監督を激励した。「今大会は監督の執念と衣笠の思いがかみ合っている。100勝したらすぐに墓前で報告したい。衣笠は『おめでたい!』と喜ぶでしょう」と思いをはせた。

【 2018年08月11日 06時30分 】

ニュース写真

  • 京都市内で原田監督(左)と笑顔で写真に納まる衣笠さん=2017年11月、原田監督提供
  • 「衣笠も100勝を見守っていると思う」と語る三間さん(京都市中京区・京都新聞社
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