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第21回 古今和歌集 巻十八

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原文は小島憲之・新井栄蔵校注『新日本古典文学大系5』(岩波書店)より転載。原文表記の一部を修正している。

 
 題知らず、読み人知らずの歌

風が吹くと沖の白波が立つ、その「たつ」を名に負う竜田山を、いまこの夜中に、あなたは独り越えているのだろうか。

 ある人が言うことには、この歌には以下のような由来がある。

 昔、大和国に住んでいた人の娘と、ある男が長年の間、一緒に暮らしていた。ところがこの女は、親も亡くなって、家の経済や暮らしぶりもどんどん悪くなっていく。そのうちに、この男は、河内国で、新しい女性と知り合って通うようになり、もとの大和の女のところへは、足が遠のくばかりになっていった。

 それでも女は、つらそうなそぶりも見せずに、男が河内へ行こうとするたびごとに、いつも彼の思うようにさせて、送り出してやったので、男は不審に思い、もしや自分がいない間に他の男と浮気でもしているのではないかと疑って、月が風情ある景色で照っている夜に、河内へ行くふりをして、前庭の草木の中に隠れて様子をうかがっていると、女は、夜が更けるまで琴をかき鳴らしながら、思い嘆いてため息をつき、「風吹けば…」の和歌を詠んで寝てしまったので、男は女の詠歌を聴いて、それ以降は、二度と他の女のところへは行かないようになった、と言い伝えている。

「伊勢物語図屏風」右隻(泉屋博古館蔵) 17世紀制作という名品。画面右上に、高安の女が描かれる。『伊勢物語』では、男が「まれまれ」「高安に来て見れば」、女は「今はうちとけて」、自分で飯匙(いいがい)を取り器に盛る。この絵のように、男が女を垣間見する図柄は鎌倉時代にさかのぼるが、『大和物語』の影響だろう
「伊勢物語図屏風」右隻(泉屋博古館蔵)
17世紀制作という名品。画面右上に、高安の女が描かれる。『伊勢物語』では、男が「まれまれ」「高安に来て見れば」、女は「今はうちとけて」、自分で飯匙(いいがい)を取り器に盛る。この絵のように、男が女を垣間見する図柄は鎌倉時代にさかのぼるが、『大和物語』の影響だろう


女が逼迫した途端、男は…



 「和歌」という言葉は、本来、答える歌という意味の漢語である。『万葉集』も同様だ。「和(こた)へる歌」「和する歌」などと訓読すべき例ばかりで、和歌の「和」と日本は関係ない。『万葉集』が漢詩に対する日本の歌をいうときには「倭歌」と表記し、「やまとうた」と訓(よ)む。「倭」は日本の古い国号であった。

 一方『古今和歌集』は、巻頭に紀貫之の仮名序を置き、「やまとうたは」、天地開闢(かいびゃく)以来の日本の伝統であると高らかに説き起こす。真名序はそれを「夫和歌者(それわかは)」と漢文表記する。『古今和歌集』の「和歌」は、やまと・歌で、文字どおり日本の歌の意であるという画期的な言挙(ことあ)げである。そして仮名序は、『古今集』が「万葉集に入(い)らぬ古き歌」から当代の和歌まで、「古」「今(いま)」の和歌を「後の世にも伝はれとて」、延喜五(九〇五)年四月十八日、今上の醍醐天皇が臣下に撰集を命じて誕生した勅撰和歌集であると、誇らしげに謳(うた)う。それは国風文化の繁栄を象徴する、国家事業であった。

 原文で示したように『古今集』は、主役の和歌を台頭し、詞書(ことばがき)と作者名は文字を下げて記す。この歌の詞書は「題しらず」、作者名も「よみ人しらず」でともに不明だが、歌の後に左注として、ある人の言い伝えが載る。左注とは、歌の成り立ちについての一説や伝承などが誌される場で、歌の右側の詞書とは異なり、係助詞「なむ」を用いるのが特徴だ。「なむ」を使い、話し手が聞き手に確認しながら語る叙法は、『伊勢物語』や『大和物語』などの歌物語と重なる(阪倉篤義)。歌が詠まれた由来を物語伝承で説明する歌物語は、物語の散文が主で、和歌の方が文字を下げて書かれる。

 この歌の左注は『古今集』の中で異例の長文だ。『古今集』で長い詞書や左注が付く場合、『伊勢物語』と関係のあることが多い。先後関係には議論があるが、この歌にも『伊勢物語』二三段と『大和物語』一四九段に異聞がある。『伊勢物語』では、親が「田舎わたらひ」(地方回り)だった幼馴染みが大人になって恋に目覚め、筒井筒(つついづつ)の物語を経て結ばれる。ところが年を経て女の親が亡くなり、経済的にも逼迫(ひっぱく)すると、このままでは共倒れだ、そう男は打算し、河内の高安に新しい通い先ができた、と前史を語る。男を想う女は「いとよう化粧(けさう)じてうちながめ」、「風ふけば沖つしら浪」の和歌を詠んだという。

 『大和物語』は大和国葛城郡を舞台とし、前半の筋立ては『古今集』と大差ない。だが、女が和歌を詠んだ後に、大きな違いが発生する。「この女うち泣きて臥(ふ)して、金椀(かなまり)に水をいれて胸になむ据(す)へたりける」。女はいったい、何をしようというのか。不審がって男が見ていると「この水熱湯(あつゆ)にたぎりぬれば」―胸の熱で、お椀の水は沸騰してしまった。女は熱湯を棄(す)て、また水を入れる。男は「見るにいとかなしくて走りいでて、「いかなる心ちし給へば、かくはしたまふぞ」といひてかきいだ抱きてなむ寝にける」。男を突き動かしたのは和歌ではない。むしろ、けなげな妻が内に秘めた激情だった、と『大和』は解く。

 後日譚がある。女の心の闇を思い知った『大和物語』の男は、高安の女が、月日を経て「かく行かぬを、いかに思ふらむ」と気になり出し、尋ねて行った。久しぶりで、きまりが悪い。男は、ぐずぐず門前に立ちすくみ、こっそりと垣間見すれば、昔は小綺麗に見えた高安の女が、今はたいそう粗末な衣をまとい、「大櫛(おほぐし)を面櫛(つらぐし)にさしかけてをりて、手づから飯(いひ)盛りをりけり」。前髪を上げて大きな櫛を挿し、自分で飯(めし)をよそっていた…。男はすっかり興ざめし、そのまま帰ってしまった。「この男は王(おほきみ)なりけり」と『大和』は終わる。この話の主人公が、平城天皇の王孫であった、在原業平だとのほのめかしだろうか。

 『伊勢』にはさらに続きがある。男の訪問が途絶えた高安の女は、大和国を見やって「君があたり見つつを居(を)らん生駒山雲なかくしそ雨は降るとも」と詠む。男は「来む」と返事をしながら、来てくれない。そこでもう一首「君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞふる」と嘆き詠じたが、男の心は戻らなかった。


十輪寺(京都市西京区大原野小塩町)

在原業平の墓とされる宝篋印塔(京都市西京区)
在原業平の墓とされる宝篋印塔(京都市西京区)
十輪寺
十輪寺

 木々の間にウグイスの声が響き渡る。ここは洛西、十輪寺。なりひら寺として知られ、嘉祥3(850)年創建のこの寺にも数ある業平伝承のひとつが残されている。業平は晩年、ここに隠棲し塩を焼くなどして風流を楽しんだという。山号にもなっている小塩(おしお)の地名は、この故事にちなむとされる。

 本堂裏山の石畳をたどると、業平の墓とされる宝篋(ほうきょう)印塔が立ち、その先には、業平が塩を焼いた塩竈(しおがま)が旧跡として整備されている。5月28日の「業平忌三絃法要」など関連行事も毎年行われる。
 高安の女のような幾多のロマンスで、悲恋の相手・二条后(藤原高子)ゆかりの大原野神社は寺の2キロほど北にある。

 泉屋博古館(京都市左京区鹿ケ谷)では、「三十六歌仙書画帖」などを紹介する企画展「日本の書―和歌と詩のかたち」が30日まで。「伊勢物語図屏風」は展示していない。

あらき・ひろし

荒木浩氏

 1959年生まれ。専門は古代・中世文学。古典を通じた大衆文化研究も進める。著書に「徒然草への途」ほか。

文遊回廊

 史跡などの歴史を物語でつなぎ、散策路を策定します(主催・京都文化交流コンベンションビューロー、古典の日推進委員会、京都新聞)

【2019年6月27日掲載】