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第11回 今昔物語集 巻二十九

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原文は森正人校注『新日本古典文学大系37』(岩波書店)より転載。原文の表記の一部を修正している。


羅城門ノ上層ニ登リテ死人ヲ見タル盗人ノ語(こと) 第十八

 今ではもう昔のことだが、摂津の国あたりから、盗みをする目的で上京した男が、まだ日が明るかったので、羅城(らせい/らしょう)門の下の物陰に隠れて立っていると、朱雀大路の方に人が盛んに行き交っていたので、人の往来が静まるまで待とうと思って、門の下に立っていると、京の外、南山城の方から数多くの人がやって来る音がしたので、「奴(やつ)らに見られたくない」と思って、門の上の階にそっとよじ登ったところ、見れば、火がほのかに燃えている。

 盗人の男は、怪訝(けげん)に思って、連子窓から中を覗(のぞ)くと、若い女が死んで寝転がっていた。その枕上に火を灯(とも)して、ひどく年を取り、白髪でかしら頭が真っ白な老女が、その死人の枕元にしゃがみ込んで、死人の髪をぐいぐいと荒々しく引き抜いて取っているのであった。盗人はこれを見て、状況が飲み込めず、「これはもしかすると鬼であろうか」と思って恐ろしかったが、「もしかしたらただの死人であるかもしれぬ、ひとつ脅かしてみよう」と思って、そっと戸を開け、刀を抜いて、「こいつめ、こいつめ」と言って走り寄ると、老女はあたふたと慌てふためき、手を擦って拝むので、盗人が「この老婆め、おまえは一体何者だ、ここで何をしているのか」と問うたところ……。

月岡芳年「羅城門渡邉綱鬼腕斬之図」(国際日本文化研究センター蔵、部分)大判錦絵2枚物の1枚。突き出た刃は、この下の二枚目に描かれる源頼光四天王・渡辺綱が、豪雨の中、鬼と対峙してかざしたもの=日文研データベースHPで閲覧できます
月岡芳年「羅城門渡邉綱鬼腕斬之図」(国際日本文化研究センター蔵、部分)
大判錦絵2枚物の1枚。突き出た刃は、この下の二枚目に描かれる源頼光四天王・渡辺綱が、豪雨の中、鬼と対峙してかざしたもの
日文研データベースHPで閲覧できます。http://db.nichibun.ac.jp/ja/


芥川が愛した本話 余情添える

 平安京の中央を貫く朱雀大路。羅城門はその南端を区切る。羅生門とも字を宛てるこの門は、天元3(980)年に倒壊して以来、再建はかなわなかった。本話は、古代末期の都市の境界に蠢(うごめ)く、荒涼かつ幻想的な情景だ。暗がりにぼんやり火影が揺れ、死骸の髪を引き抜く白髪の老婆が浮かび上がる。羅城門には鬼が棲(す)むとの噂(うわさ)だが…と怯(おび)えつつも、自らの志で盗人となった男は、落ち着け、単なる「死人」(「人」と言うべきを誤写などしたか)かもしれぬ。まずは敵の正体を見極めようと、誰何(すいか)したところまでが原文に載る。

 骸(むくろ)は、私が仕えたお方です。葬儀など後始末をする人もいないので、こうして棄(す)て置くのです。「其(そ)ノ御髪(みぐし)ノ長(たけ)ニ余(あまり)テ長(なが)ケレバ、其(それ)ヲ抜取(ぬきとり)テ鬘(かづら)ニセムトテ抜ク也」と媼(おうな)は応(こた)え、「助ケ給ヘ」と懇願した。男は「死人ノ着タル衣ト、嫗ノ着タル衣ト、抜取(ぬきとり)テアル髪トヲ奪取(うばひとり)テ、下走(おりはしり)テ逃(にげ)テ去(さり)ニケリ」。かもじにしようと抜いた髪まで奪って消えた。羅城門の二階には、死骸や骨がごろごろ転がっていた。この嫗のように「死(しに)タル人ノ葬(はうぶり)ナド」出来ない遺体を「此(こ)ノ門ノ上ニゾ置(おき)ケル」故だと『今昔』は説き、門の荒廃を伝える。

 12世紀成立の『今昔物語集』は、全31巻。釈迦(しゃか)の誕生から仏教の成立と伝来を基軸に、天竺(てんじく)(巻1~5)、震旦(しんたん)(中国、巻6~10巻)、本朝(日本、巻11~31)の三国世界を説話集として描き出す大作だ(巻8、18、21の3巻は欠損)。三国それぞれの後半部には、国の歴史や世俗の諸相を映し出す。本話が載る巻29には「悪行(あくぎやう)」の副題が付く。芥川龍之介が「三面記事に近い」と愛した巻の一つである(「今昔物語鑑賞」)。

 芥川は本話を素材に『羅生門』を構想し、「ある日の暮方」、「下人が羅生門の下で雨やみを待っていた」と起筆した。「朱雀大路にふる雨の音」が背景に響く。『今昔』では、盗人が日の名残に乾く明るさを避け、門下に隠れるところから始まる。意図的な変更だ。また『羅生門』は「下人の行方(ゆくえ)は、誰も知らない」と閉じて余情を添えた。これも芥川の作為で、『今昔』の常套句(じょうとうく)を借りている。例えば本巻第30話で『今昔』は、双六(すごろく)の揉(も)め事から人を殺した小男の逃亡を「此(こ)ノ小男ノ行方ヲ更(さら)ニ不知(しら)デ止(やみ)ニケリ」と記す。

 芥川最後の王朝物『藪(やぶ)の中』も、本巻第23話が出典だ。京の男が妻を馬に乗せ、彼女の里、丹波の国へと向かう。道中、大江山の近辺-老ノ坂の大枝山あたり-で若い男と知り合った。男は、言葉巧みに自分の太刀と夫の弓を交換。昼食のため藪の中に入ると、より深くへ誘う。矢を2本せしめ、夫が妻を馬から抱き下ろすと態度豹変(ひょうへん)。弓矢で夫を脅して山奥へ連れ込み、太刀を取り返して、馬の指縄(さしなわ)で夫を木に縛り付けた。男は若い。ふと「年二十余許(はたちあまりばかり)ノ女ノ、下衆(げす)ナレドモ愛敬付(あいぎやうづき)テ糸清気(いときよげ)」な妻を見て、すっかり心を奪われる。男は夫の前で彼女を求め、女もそれに従った。「其ノ後」立って身繕いし「馬ニ這乗(はひの)」った男は、優しく因果を含める。お前を「糸惜(いとほし)トハ思ヘドモ」、やむなく俺は「去(い)ヌル也」。夫も「免(ゆる)シテ不殺(ころさず)ナリヌルゾ」。馬はもらっていくと告げ、「馳散(はせちら)シテ」「行(ゆき)ニケム方(かた)ヲ不知(しら)ザリケリ」。呆然とする夫に妻は「汝ガ心云フ甲斐(かひ)無シ。今日ヨリモ此(こ)ノ心ニテハ更ニ墓々(はかばか)シキ事不有(あら)ジ」となじった。「夫更ニ云フ事無クシテ」とぼとぼ妻の後を追い、再び丹波へ歩みを進めた。『今昔』は夫の迂闊をそしり、「女ノ着物ヲ不奪取(うばひとら)ザリケル」男の心を褒めた。死人の衣まで剥ぎ取って逃げた本話の盗人の非情に、おのずと対比されるだろう。

 過日、百歳で亡くなった橋本忍は、芥川の全集を繰って『藪の中』を選び、『雌雄(しゆう)』という脚本を書いた。思いがけず黒澤明による映画化が決まる。「昭和二十四年の浅春」、初対面の黒澤は「これ、ちょっと短いんだよな」と言い、橋本はとっさに「じゃ、『羅生門』を入れたら、どうでしょう?」と答えた(橋本忍『複眼の映像』)。映画『羅生門』は、半ば崩れた門の下で雨宿りするシーンで始まる。回想の『藪の中』証言劇の錯綜を描き、最後にカメラは門に戻る。赤児がやがて泣き止んで、いつしか空も、雨あがる。

●『今昔物語集』巻29の底本は、京都大学附属図書館所蔵の鈴鹿本。国宝です。鎌倉時代の写しで重要な祖本であることなど、その価値の概要については「文化遺産オンライン」に説明があります。
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/205950

京都大学附属図書館のサイトからは、全編のカラー写真と解説を閲覧できます。
https://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/konjaku/kj_top.html(京都大学電子図書館)
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/classification/pickup-nt (京都大学貴重資料デジタルアーカイブ)

●鈴鹿本は、漢字と小書きのカタカナで書かれています。この表記は、漢籍や経文の読解と関係が深い(例えば「不有ジ(あらじ)」「不殺(ころさず)」など漢文的表記を残しています)。おそらく『今昔物語集』の原姿を伝えるものでしょう。だから旧版の日本古典文学大系は、鈴鹿本の形態を忠実に再現して本文を作成しています。しかし大きな文字の写本と違い、活字ではカタカナがとても小さくなってしまいます。また一行の幅に小さく二行分の文字を書く割書(わりがき)などもあり、さすがに少し読みにくい。そこで新日本古典文学大系では、引用した原文のように、カタカナを漢字と同じ大きさにして割書もなくし、視認性を高めています。

●カタカナ表記は、『方丈記』などの古典はもとより、近代以降でも一般的なものでした。しかし今日、外来語や擬音語など以外では、目にする機会が減りました。古典世界を味読するためにも、本話などをきっかけに、カタカナの文献に慣れていただければ幸いです。


羅城門跡(京都市南区)

JR京都駅前にある羅城門の模型。10分の1の大きさでその姿を再現している(京都市下京区)
JR京都駅前にある羅城門の模型。10分の1の大きさでその姿を再現している(京都市下京区)
羅城門の碑(花園児童公園内)地図
羅城門の碑(花園児童公園内)地図

  その壮大華麗な建物は、瓦屋根に鴟尾(しび)を置き、赤と白のコントラストが目にも鮮やか。左右には、国家鎮護の東寺と西寺の大伽藍(がらん)を配し、門をくぐれば、幅80メートル超という朱雀大路が、真っすぐ4キロほど北にある大内裏手前の朱雀門まで続く。凱旋(がいせん)門の役割も担ったようで、羅城門はまさに平安京の威信と殷賑(いんしん)を象徴する玄関口だった。

 東寺から九条通を西へ進むと、「羅城門跡」と書かれた地図付きパネルに出合う。その奥に児童公園が広がり、中央付近に鉄柵で囲まれた「羅城門遺址」の石碑が立っている。現在、この碑以外、ここに羅城門をしのぶものは何もない。

 980年の暴風雨で倒壊後、なぜか修復、再建は行われず羅城門は荒廃するに任された。それからは、都の内外から集まるあやしげな人々や鬼、妖怪の類までがうごめく場所となり、今は、怪異幻想物語の舞台としてその名を残すばかりである。

あらき・ひろし

荒木浩氏

 1959年生まれ。専門は古代・中世文学。古典を通じた大衆文化研究も進める。著書に「徒然草への途」ほか。

文遊回廊

 史跡などの歴史を物語でつなぎ、散策路を策定します(主催・京都文化交流コンベンションビューロー、古典の日推進委員会、京都新聞)

【2018年8月23日掲載】