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第15回 源氏物語 幻巻、匂宮巻

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原文は柳井滋ほか『新日本古典文学大系22』(岩波書店)より転載。原文の表記の一部を修正している。

 仏名会(ぶつみょうえ)の日に、光源氏は姿をお見せになる。ご容貌は、昔の光輝くような美しさをより一層増して、この上なく素晴らしいご様子でいらっしゃるけれど、この老いて齢を重ねた僧(白髪交じりの古参の導師)は、むやみに流れる涙を留めることができなかった。光源氏は、年が暮れてしまったとお思いになるにつけても心細いことであるが、まして若宮(匂宮(におうみや))が、「追儺(ついな)(大晦日(おおみそか)の鬼やらい)をするのに、大きな音を立てて鬼を追い払うには何をしたらいいかなあ」と走り回っていらっしゃるのも、もうこの愛らしいご様子を見ないことよと、何につけても思いが募る。

  物思いにふけって過ぎ去る月日のことも知らぬ間に、この一年(ひととせ)も私の生涯も、今日、終わってしまうのか。

 元日の準備については、例年よりは格別にと決めて、ご指示をなさる。親王たちや大臣への引き出物や、以下の人々への身分に応じた祝儀など、この上なくよいものをご用意なさって、とのことだった。(幻巻末尾)

 光源氏がお隠れになった後は、あの素晴らしい容姿を受け継ぐような評判の方は、多くの末裔にもなかなかいなかった。御退位した冷泉院のことを口に出すのは畏(おそ)れ多い。今上陛下の三の宮(匂宮)と、同じ御殿の六条院でお育ちになった女三の宮の若君(=薫)というこのお二人がね、それぞれ美しい男君だと名をはせており、なるほどそれはもう非凡なご様子ではあるが、たいそうまぶしいほどの美しさ、とは言えない。(匂宮巻冒頭)

 	尾形月耕『源氏五十四帖』(横山良八、明治26年刊、国立国会図書館蔵)。寂しげに紫の上を想う光源氏の後ろ姿を描く。色紙型に「幻 おほぞらをかよふまぼろしゆめにたに見へこぬ玉の行ゑたつねよ」と、巻名の由来となった光源氏の詠歌を記す。海の風景に見える。思い出の須磨を重ねるか
尾形月耕『源氏五十四帖』(横山良八、明治26年刊、国立国会図書館蔵)  寂しげに紫の上を想う光源氏の後ろ姿を描く。色紙型に「幻 おほぞらをかよふまぼろしゆめにたに見へこぬ玉の行ゑたつねよ」と、巻名の由来となった光源氏の詠歌を記す。庭の向こうに海の風景が見える。思い出の須磨を重ねるか 上記画像は、国立国会図書館のサイトで見られます。
上記画像は、国立国会図書館のサイトで見られます。


時巡り、もののあはれを知る



 古代物語は、主人公の両親の紹介から始まる(玉上琢彌(たまがみたくや))。『源氏物語』も同じ。「いづれの御時にか」の帝と「いとやんごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめき給ふ」桐壺更衣との間に、「世の人」が「光る君と」呼ぶ(桐壺巻)「光源氏」(帚木(ははきぎ)巻頭)が誕生した。彼の最後の登場が、この歳末の風景だ。物語は、夕霧(ゆうぎり)巻で光源氏の長男の重婚騒動を語り、御法(みのり)巻で紫の上の死を描く。幻では、光源氏がその死を哀傷して歳時がめぐる。

 その昔、8月の大風(野分(のわき))の日、六条院で思いも掛けず紫の上を垣間見(かいまみ)た夕霧は「御面影の忘られぬを、こはいかにおぼゆる心ぞ」と恋い焦がれ、「あるまじき思ひ」に囚(とら)われそうな自分を懼(おそ)れた(野分巻)。御法巻でそのことを想起した夕霧は、「おほけなき心(=不埒(ふらち)な心)はなかりしかど」、声さえ聴けずにいたことよと述懐しつつ、逝去のまぎれに、灯りをかざして紫の上の死顔をじっと眺める僥倖(ぎようこう)を得た。光源氏が夕霧と紫の上の接触を禁じた背景には、父の後妻・藤壺と自分が親しみ犯した密通によって、冷泉帝が生まれた不義がある。ところが、光源氏の後妻・女三の宮に「昔よりおほけなき心」を抱いていた夕霧の親友・柏木は、唐猫が掻き上げた簾の奥に女三の宮を見て恋心を募らせ、密通に及んで薫が生まれる(若菜上下、柏木巻)。「おほけなき心」は『源氏物語』のキーワードだ。藤壺もかつて、光源氏が華麗に舞う青海波(せいがいは)を見ながら、この人の内面に「おほけなき心のなからましかば」もっと楽しめたのに、と嘆息したことがある。すでにその時、彼女は彼の子を宿し、隣には、無邪気に光源氏の舞を褒め称える桐壺帝がいた(紅葉賀(もみじのが)巻)。

 紫の上は、かつて光源氏と住んだ二条院(二条東洞院)を伝領して「わが御殿(との)」と慈(いつく)しむ。彼女は、桐壺更衣の里を改築したこの邸宅で『法華経』千部供養を行った後、病に伏して死の床に着く。春を好んだ紫の上は、自ら愛育した匂宮に、紅梅と桜の世話を託す。紫の上を「はは」と呼び、父母より大好きだった匂宮は、私がいなくなったら、と話す彼女の目を見つめ、涙をこらえて頷(うなづ)く。子のない彼女は、養女だった明石の中宮(光源氏の娘で匂宮の母)に看取られ、秋8月に、二条院でこの世を去る。出家を強く願ったが、光源氏はついに許さず、「今は限りのさま」と見て、ようやく彼女を落飾させた。葬送と弔問が終わり、光源氏は仏道修行に励む(御法巻)。

 正月の「春の光」で幻は開巻する。光源氏の悲しみは深まるばかりで、若い時から願う出家を、いまだ果たすことができない。一年(ひととせ)の哀傷を経て、光源氏は歳末に「人の御文(ふみ)」を処分する。須磨時代のものには、紫の上の手紙も混じる。その文字は「千年(ちとせ)の形見に」したいほどだが、もう読むこともなかろうと、すべて破って火にくべた。そして「今年ばかりにこそは」と思う「御仏名(おぶつみやう)」に姿を見せた光源氏は、驚くほど美しかった。愛(いと)しい匂宮も「年もわが世も」すべて今日が最後と覚悟する。どうやら今度は本気らしい。ただし物語は、格別にめでたい正月の準備を語って唐突に伝承を閉じた。「雲隠」という名ばかりの巻をはさんで8年の空白を置き、匂宮巻へと引き継ぐ。光源氏は既に亡(な)い。不在を埋める新しい主人公の値踏みが始まり、世界は大きく反転する。

 宇治十帖の宿木(やどりぎ)巻で、薫は光源氏を「故院」と呼び、「二三年ばかりの末に世を背(そむ)きたまひし嵯峨の院」と「六条の院」について、「亡(う)せたまひてのち」の寂寥(せきりよう)に言及する。光源氏は晩年に出家して、嵯峨院で過ごしたらしい。嵯峨の御堂と呼ばれた所で、源融(みなもとのとおる)の栖霞観(せいかかん)(後の清凉寺)に準(なぞら)えられる。六条院(六条京極辺り)は幻巻の舞台だが、光源氏が四町に四季を宛て、愛する女性を集めた大豪邸。これも融の河原院を彷彿(ほうふつ)とさせるが、生霊(いきすだま)が葵の上に憑(つ)いて死に至らしめた光源氏の愛人、六条御息所(みやすんどころ)の邸宅跡を取り込んで建つ。冷泉帝に嫁いだその娘の秋好(あきこのむ)中宮が棲む、秋の町がそれだ。怨霊は死後も蠢(うごめ)き、紫の上を襲う。一方で降嫁した女三の宮は、紫の上と光源氏が住む春の町に同居して寝殿の西面に棲んだ。末期の紫の上が、二条院に愛着した気持ちが切ない。


宇治市源氏物語ミュージアム(宇治市)

物語に登場する「六条院」の模型。宇治市源氏物語ミュージアムに展示されている
物語に登場する「六条院」の模型。宇治市源氏物語ミュージアムに展示されている
宇治市源氏物語ミュージアム
宇治市源氏物語ミュージアム

 間近に迫る死期を感じながら、先に逝(い)った紫の上への思いが募るばかりの光源氏である。2人が絶頂の愛を確かめ合ったのは、「六条院」の春の町であったか。

 4町を合わせた広大な源氏の邸宅六条院は、四季になぞらえた春夏秋冬の町に仕切られていた。それぞれに行き来ができる敷地に壮大な寝殿や対の屋が立ち並び、築山のある庭には他の町へも通じる池も。光り輝く権勢の源氏にふさわしいこの邸宅で、紫の上や明石の姫君など、源氏と関わる主な夫人や子女たちとのさまざまな物語が展開される。

 宇治市源氏物語ミュージアムは「宇治十帖」の主要な舞台となった宇治市に1998年にオープンした。館内の平安の間には、この六条院の3メートル四方の模型が展示されている。俯瞰(ふかん)する檜皮葺(ひわだぶ)きの寝殿や庭園は微妙な光で彩られ、思わず物語の世界へと誘われていく。有料、月曜休館。

あらき・ひろし

荒木浩氏

 1959年生まれ。専門は古代・中世文学。古典を通じた大衆文化研究も進める。著書に「徒然草への途」ほか。

文遊回廊

 史跡などの歴史を物語でつなぎ、散策路を策定します(主催・京都文化交流コンベンションビューロー、古典の日推進委員会、京都新聞)

【2018年12月27日掲載】