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(30)近江鉄道伊賀上野線(甲賀市・三重県伊賀市)

近江鉄道の停車する貴生川駅。現在では終着駅だが、延伸されていれば中間駅となっていたかもしれない(甲賀市水口町)
近江鉄道の停車する貴生川駅。現在では終着駅だが、延伸されていれば中間駅となっていたかもしれない(甲賀市水口町)

 北陸や滋賀県北部から伊勢神宮(三重県伊勢市)への参拝客を運ぼうと、かつて近江鉄道が三重県伊賀市まで延伸する計画を立てた。しかし、計画が進まないうちに戦争となり、線路用地を農地として貸し出していたところ、不在地主所有地とされ、払い下げとなった。滋賀県県政史料室に残る文書を基に農地改革に消えた路線をたどった。

 路線は近江鉄道の貴生川駅(甲賀市)から伊賀鉄道の広小路駅(伊賀市)までを結ぶ近江鉄道伊賀上野線だ。午前5時半、京都駅発の電車で甲賀市方面へ向かう。計画では貴生川から甲南駅付近までは草津線と並走する。甲南でバスに乗り換える。

 目当てのバスは1日3本しかない。駅前のバス停で午前7時15分発を待つ。年季の入ったマイクロバスがやってきた。客が珍しいらしく運転手に「乗りますか」と聞かれた。甲南町竜法師に行くと告げると「(到着は午前)8時ごろになりますよ」と運転手が再び言う。バスの路線図を見るとずいぶん遠回りをするようだが、路線をたどれるのはこのバスしかない。

 5分ほどで深川市場というバス停を通過する。この付近を伊賀上野線は通るはずだった。停留所ごとに小学生が乗り込む。スクールバスとしても利用されているようだ。子どもたちは見慣れない記者にけげんな表情を浮かべている。

 定刻通り竜法師に到着。ここから三重県境までバスはないので、手配しておいたタクシーに乗る。新名神高速道路が近いためか工場が多い。アップダウンのある道を進んで約20分。県境をまたいで伊賀市内保に着いた。ここで「阿山行政サービス巡回車」というバスに乗る。

竜法師に向かうバス。小学生が乗るスクールバスとしても利用されている(甲賀市甲南町・JR甲南駅)
竜法師に向かうバス。小学生が乗るスクールバスとしても利用されている(甲賀市甲南町・JR甲南駅)

 内保下のバス停にやって来たのは一見、普通のワゴン車だ。コミュニティーバスの役割を果たしているようで、車内は高齢女性ばかり。明るい声が響く。

 藤原すへ子さん(79)は伊賀市中心部の歯科医院に通う途中。一帯のバス網は近年、撤退や減便を繰り返しているといい「最近はバス同士の連絡もなくなり不便になった」と話す。ワゴン車の「常連」で最近亡くなった人がいるといい、高齢化、人口減が山間部を覆っている現実を聞かされる。近江鉄道が延伸していても、経営は厳しかったかもしれない。

近江鉄道伊賀上野線の計画に免許が下りたことを伝える1928年10月16日付の官報(国立国会図書館蔵)
近江鉄道伊賀上野線の計画に免許が下りたことを伝える1928年10月16日付の官報(国立国会図書館蔵)

 1927年、近江鉄道は貴生川から広小路までの延伸を国に出願する。広小路で伊賀鉄道に乗り入れる予定で、青山町駅で近鉄大阪線に接続することで伊勢神宮の参拝者を運ぶ計画だった。翌年、免許が交付され実現へと動きだす。しかし、すぐに世界恐慌、そして15年に及ぶ戦争の時代に。買収済みの路線用地は農地として貸し出された。

三重県側から見た滋賀県方向。伊賀上野線はトンネルで県境を越す計画だった(三重県伊賀市内保)
三重県側から見た滋賀県方向。伊賀上野線はトンネルで県境を越す計画だった(三重県伊賀市内保)

 47年進駐軍指導の下に農地改革が始まる。近江鉄道が甲賀市や伊賀市に持っていた農地は、地元にいない土地所有者「不在地主」の土地と判断され、譲渡された。

 ワゴン車を伊賀市阿山支所前で降り、三重交通のバスに乗り換える。30分ほどで伊賀鉄道の広小路に。近江鉄道が乗り入れるはずの駅は単線の小さな駅だった。近江鉄道の計画が実現していれば、駅一帯の静かな雰囲気は変化していたのだろうか。

近江鉄道伊賀上野線

近江鉄道伊賀上野線

 社内誌「近江鉄道七十年のあゆみ」(東近江市立八日市図書館蔵)には、中間駅として「深川市場」「玉滝」「鞆田」「伊賀河合」「新佐那具」が挙げられている。また滋賀・三重県境にはトンネルを、新佐那具駅には車庫を設ける予定だったという。

【2018年08月10日掲載】