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松居竜五氏 熊楠、博物学で東西に橋渡し

松居竜五氏 まつい・りゅうご 1964年生まれ。東京大教養学部留学生担当講師、ケンブリッジ大客員研究員等を経て現職。南方熊楠顕彰会理事。2017年に「南方熊楠 複眼の学問構想」で角川学芸賞。


 12月17日から京都工芸繊維大学で展覧会がおこなわれるなど、南方熊楠がまた脚光を浴びている。昨年3月には和歌山県白浜町の南方熊楠記念館の新館がオープンし、来春には同県田辺市の南方熊楠顕彰館の常設展もリニューアルされる予定だ。
 1941年に没してから長い間、南方熊楠の学問の特長は、百科全書的な知識の膨大さや、世界の森林で採集した植物標本の量にあると考えられてきた。だが、熊楠の人生を丹念にたどると、彼がつねに、自分と世界の間によこたわる巨大な問題に対する解答を必死に追い求めていたことがわかる。熊楠は情報をそのまま蓄積することに喜びを感じたのではなく、それを課題解決の手段として利用しようと格闘した人物である。
 西洋の学問のみが絶対だと考えられていた19世紀末の英国にあって、熊楠は東アジアの伝統的な知の世界を紹介し続けた。和漢の書籍に含まれる本草学や博物学の知識を、当時最先端の学問であったフォークロアや人類学の材料として読み替えることで、東西のものの考え方の間に橋渡しをしようとした。たとえば、シンデレラ物語の原話が9世紀の中国書に見られることを初めて指摘したのも彼だ。
 ロンドンからの帰国後に移り住んだ和歌山県の那智や田辺において、熊楠は自然保護のための先駆的な取り組みをおこなった。この時、彼が注目したのは、日本の各地の村々にある小さな神社や祠(ほこら)が、聖域としての森林を長い間守ってきたことである。壮大な社殿を誇るような精神のあり方ではなく、宗教が持つ自然との共存という側面の重要性を、いちはやく見いだしたのである。
 こうした熊楠の課題解決のための知恵は、現代から未来の世界を考える時に、ますます輝きを増している。経済的には発展した中国が、欧米との価値観の違いを埋められずにいる今日の状況にあって、両者の知識の枠組みを読み替えることによって対話を成し遂げた熊楠のやり方は、大きな示唆を与えてくれる。自然を守ろうにも「自然」とは何かがわからなくなってしまっている現代人に対して、神社という身近な存在が生態系の中で果たしてきた役割を説いた熊楠の論は、まことにわかりやすい手引きである。
 さいわい、生涯にわたって蓄積した学問資料を、熊楠は自分にとって完全なかたちで保存し続けた。それらは、田辺市の南方熊楠顕彰館を中心として、ていねいに継承されて公開が進んでいる。こうした資料を、数十年、数百年という単位を見据えながら活用するための入り口に、我々は立っているのである。

(龍谷大国際学部教授)

[京都新聞 2018年12月14日掲載]