ソフィア 京都新聞文化会議 京都新聞電子版へ

カルドネル・シルヴァン氏 トマソンは観光を変えるか

カルドネル・シルヴァン カルドネル・シルヴァン 1962年フランス生まれ。89年来日、京都大で西田幾多郎の哲学を研究。村上龍らの翻訳多数。2008年『家畜人ヤプー』で日仏翻訳文学賞受賞。龍谷大教授。赤瀬川原平の仏訳を準備中。


 今日、美術館、ギャラリーに保管されるものは芸術作品であり、美術館の発達によって「作品は、もう日常に属さないものである」との観念が広がった。
 帝国主義、グローバル化された資本主義によって日常とアートの強い結びつきが切断されたからだ。「芸術のための芸術」との考え方が定着し、芸術は「芸術作品」と呼ばれるようになった。本来なら、特定の場所や風土につながり、特定のコミュニティー、文化を表現したはずだ。
 「超芸術トマソン」は赤瀬川原平(1937~2014年)が発明した概念で、「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」または「無意味無用でありながら、この生産社会の一隅に存在を続けている物件である」と定義する。周囲の環境が変わったけれども、取り残されて階段やトンネル、門などの機能だけが保存されたものを指す。
 トマソンは現在の姿になるまでの「街のドラマ」を語り、発見されるのを待つかのように街の風景にただ潜んでいる。1980年代に「トマソン探し」はブームを起こし、路上観察は社会現象にさえなった。
 トマソンと芸術作品の関係は「消費されるもの」と「ごみ」と「コンセンサスの対象になるもの」の図式間で描ける。消費社会における商品中心の日常で、トマソンは芸術作品と同様に無用だが、保存の同意を得られたものである。
 ただ、芸術を超えているトマソン(超芸術)には作者がいない。芸術的な創作意図もないが、何らかの感動を生み出せる存在でもある。トマソンに接した日常経験を美的なものとして捉え、感動を分析するため赤瀬川は、日本における本来の美意識を呼びだす。「もののあわれ」「わびさび」「見立て」など、日本文化の特有な実在に対する感覚(「意図貧弱」)である。
 現在、京都の寺院、庭園などが混雑を起こすぐらいの人気を集めている。バスに乗れない。いら立ちを漏らす住民。一方、街の一般的空間に潜んでいて、日常生活との強い結びつきを持った一種の「超芸術作品」が存在する、と赤瀬川が主張する。それを発見するのは楽しい。
 「トマソン探し」は人の視点を鋭くさせ、より深い感性を育成する。人間らしい感性を磨くことに貢献できるに違いない。そして日本的な美意識への入門体験にもなる。こうなると観光客にもぜひお勧めしたい。おまけに古都の各所に観光客が散らばれば観光スポットの混雑を緩和するだろう。

(翻訳家)

[京都新聞 2019年02月15日掲載]