日本人の忘れもの 第2部

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部

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第2回 7月8日掲載

リメンバー「疏水」
インクライン復興や遊覧船の就航で、
水辺の大観光コースを創造してはどうか。

須田寛さん

鉄道友の会会長
須田 寛 さん

すだ・ひろし 1931年、京都市生まれ。京都大法学部卒、54年旧国鉄入社。旅客局長など歴任後、87年の東海旅客鉄道(JR東海)発足と同時に社長。会長を経て2004年から相談役。同社の「そうだ、京都行こう。」キャンペーンなどを強力に推進。07年から現職。著書に「昭和の鉄道」「東海道新幹線」「産業観光読本」「新しい観光」など。

イメージ その1
琵琶湖疏水がこれまで果たし、今も現役で担う役割は、琵琶湖から宇治川を結ぶ水運をはじめ、京都の上水道、工業用水、水力発電、さらにかんがいなど多岐にわたる。日本初の電車開業も、疏水による電力供給のおかげだった(京都市左京区の岡崎公園そばを流れる疏水。付近は戦前、市民が憩う水辺でもあった) 

出身地の京都に戻ると、必ずと言っていいほど、琵琶湖疏水がどうなっているのか、気になる。

「今日の水位は大丈夫かな」「満面に水をたたえているだろうか」と。大学を出るまで、住んでいた実家が疏水からほど近い場所だったせいもある。

日本初の電車開業も疏水の電力供給のおかげ

イメージ その2

「哲学の道」界隈(かいわい)、南禅寺周辺には、風情のある庭を備えた邸宅や庭園、さらに博物館などになっている建造物が少なくないが、これらの施設も、疏水からの恩恵を受け、池を含め庭園美を形成している。疏水はかつて、京都市内の北から南の伏見に至るまで、深く地域の経済社会に関わっていた。そのような疏水との深い縁を、今の若い人たちはどれほど自覚しているだろうか。若い人に限らない。多くの人が、その一部だけを「疏水」=「過去の遺物」として、ただ眺めているだけではないか。

明治維新で天皇が東京に居を構えたため、明治に入って、京都は10万単位で人口が減り、火が消えたようなまちになった。この危機的状況を打開すべく、当時の北垣国道知事らが尽力し、田辺朔郎博士らの叡知を結集し、琵琶湖から水を引く一大事業が実現する。疏水の完成で、琵琶湖から宇治川を結ぶ水運をはじめ、京都の上水道、工業用水、水力発電、さらにかんがいなど多岐にわたる用途に供された。日本初の電車開業も、疏水による電力供給のおかげだった。

疏水にはもう一つ大事な役割があった。憩いの水辺だ。子どもの頃、南禅寺舟溜(だ)まりから、平安神宮を南に歩いて正面に架かる「慶流橋」を経て、川端署北側の東大路に架かる「徳成橋」付近の間の疏水は、ボートも浮かんでいたし、水泳場まであり、魚釣りや水遊びもできた。

国内外の多くの有名なまちを見ると、東京、大阪、名古屋、パリ、ロンドン…大都市なら、どこも、まちの真ん中に「ゆたかな水辺」があり、市民が思い思いに楽しめる憩いの場になっている。

翻って、京都はどうか。鴨川はあるが、ボートを浮かべたり、子どもが水辺で自由に、気軽に遊べるようになっているだろうか。

生まれ育った京都に注文を付ければ、「疏水観光」の取り組み、「リメンバー(思い起こせ)疏水」を期待したい。

沿線の自治体・住民が連携し知恵をしぼる

イメージ その3

南禅寺と伏見・墨染付近にあった2カ所のインクラインの復興・再生、いろいろ難問はあろうが、大津から夷川ダム(左京区)までの水運を蘇(よみがえ)らせ、観光船を往復させる。伏見地域でも三栖の水門付近の水路を再生し、墨染付近から旧伏見港経由で大阪湾まで、現代の川下りともいうべき観光船を就航させ、滋賀~京都、京都~大阪を結ぶ観光水上交通路を整え、水辺の大観光コースを創造してはどうか。

長年、企業の現場にいた立場から言わせてもらえば、沿線の自治体・住民が連携し知恵を絞れば、決して夢物語ではない。

琵琶湖疏水を過去の遺物として忘れ去ってしまっていいのか。現代に活(い)かし、再生させる道を探ってほしい。疏水の水力発電で日本初の電車を走らせた先人の気概を思い出したい。一部の場所では、今も満々と水をたたえる疏水を活かさない手はない。

総合的・広域的な「疏水観光」は、寺社・名勝見学をはじめ、「見る・体験する・学習する」観光につながる、いっそう厚みのある「観光都市KYOTO」の構築に寄与するに違いない。

きょうの季寄せ(七月)
ほととぎす 大竹藪を 漏る月夜 芭蕉

「嵯峨日記」、芭蕉が嵯峨落柿舎に滞在中の記録の中にこの句を記す。

ほととぎすの鳴き声を「てっぺんかけたか」「特許許可局」などと聞き倣(な)されるが、「独居懲(こ)りたか」と聞く人がいたのは時代を反映していようか。

芭蕉はどうか。一切の私情を入れず、全く自然の中にあってそのまま事物を受け容れ、一如の体(てい)をなす。
(文・岩城久治)

「きょうの心伝て」・2

井 敏宗 さん 学校法人理事(京都市北区/76歳)

偶 感

「京都市学校歴史博物館」には明治初期の学校教育の貴重な資料が展示されている。その記録写真から新しき社会の息吹と、それを吸収しようとする意気込みが伝わってくる。学校に通える喜びがどれほど大きかったか。どの子の顔も真剣で、目は輝いている。今日の子供たちにとっても学校は楽しい所に違いない。

しかし今、教室でこのような真剣な表情を見る事が出来るだろうか。当時のまだまだ貧しい教育環境の中で彼等は先生の説明を聞き漏らすまいと真剣であり、社会に有為な自己創造に想像しがたいほど刻苦勉励したに違いない。ところが今親は子供の頑張りを出来るだけ安易に他力を借りて達成させようとしてはいないだろうか。子供は何かのきっかけや感動に出会えば自分の意志で一歩を踏み出す。これが自己実現への出発だ。だから他力依存では駄目だと考えるのだが、今こそもっと学校を信頼活用し、家庭は子供の自己実現への動機づくりの時間や環境を取り戻すべきだと痛感している。

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