日本人の忘れもの 第2部

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部

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第7回 8月12日掲載

日本人の精神文化
「ののさまは見てはる」
子供の人格の縦軸となってきた仏教の教え

江里康慧さん

仏師
江里 康慧 さん

えり・こうけい 1943年、仏師・江里宗平の長男として京都に生まれる。京都市立日吉ヶ丘高美術課程彫刻科卒後、松久朋琳・宗琳師に入門。1989年、三千院から大仏師号を賜る。2003年、京都府文化功労賞、07年、仏教伝道協会から第41回仏教伝道文化賞を受賞。著書に「仏師という生き方」や「京都の仏師が語る 眼福の仏像」など。

イメージ その1
平安時代中期、仏師の祖と仰ぐ定朝によって寄木造(よせぎづくり)が完成され、和様とよばれる日本独自の様式美が生まれた。その伝統を今も受け継ぐ。

昔の大家族の家庭では親の苦労を見て育った上の子が下の子の面倒を見、子供たちで役割を分担し手伝いをしたり、おかずやおやつは分け合って、助け合って暮らすことが当たり前でした。インドを旅する度に今でもあちこちでこうした光景を見かけては、遠い日のことが懐かしく甦(よみがえ)ったものです。

水道の蛇口を捻ると飲める水が出てくる。夜の通りを女性が一人でも歩ける。先進国といわれる(ある程度)豊かな国。ここまでは世界中を探せば何本かの指を折ることが出来ます。しかし、それでいて徴兵制のない国となるとどうでしょう。「知足」(ちそく)のこころを忘れた事を知らされ考えさせられます。

2500年前、お釈迦様が説いて歩かれ、導かれた法

イメージ その2

仏教は二千五百年前のインドに実在されたお釈迦様が、その生涯にわたり多くの人々に説いて歩かれ、導かれた法(ダルマ)であると思います。それは人間が普遍的に、潜在的に背負う悩みや苦しみから解放される悟りの境地、即ち真理に目覚めさせる教えです。

本来は象(かたち)をもたなかった仏教ですが、その後、仏像や仏画等の美術やさまざまな工芸、そして建築や庭園、音楽、芸能に至る多彩な文化を生み出してきました。それらは凡夫の肉眼には観(み)ることが出来ない仏教の世界をかたちを通してメッセージされてきたのだと思います。

私は仏像制作の道に携わっています。仏師の修行はまず刃物を研ぐこと、木を削ることから教わります。仏像の手や足、そして頭部へと、部分が彫れるようになるとようやく全身像に挑みます。同時に技術の修練だけでなく仏教各宗派の教義や仏教美術の歴史も学ばなくてはなりません。

自然に対する感謝と畏敬することを学んだ

イメージ その3

古典の仏像にはそれぞれ造られた時代の特徴が顕れています。仏教美術に明るい人は制作された時代を言い当てます。それはそれぞれの時代に生きた人々が悩みや苦しみから救われたい、助かりたい、と抱いた願いや美意識、そして生活が仏像に反映されているからなのです。

6世紀の前半、それまで神道を奉じてきた日本に仏教が伝えられました。やがて仏教と神道は習合してゆきました。ここから自然に対する感謝と畏敬する心と畏怖することを学び、社会における連帯感が身に備わり、世の中の秩序が形成されてきたように思います。

大家族の時代に話を戻しますと、日本人の精神文化を支えてきた面で仏教は大きな位置を占めてきました。身近なところでは子供や孫たちは、お仏壇の前のおじいちゃんやおばあちゃんの膝の上で、「誰も見ていないと思っても、ののさまはいつも見てはるのえ」、と聞かされてきた日常が、その子の人格の縦軸となってきたように思います。目を疑うような事件や、世の中を震撼(しんかん)させる現象が続く世相を考えると、私たち日本人は何か大切なことを置き忘れてきたのでは、と思われてなりません。

きょうの季寄せ(八月)
露の玉 ころがり土龍(もぐら) ひっこんだり 川端茅舎(ぼうしゃ)

7日が立秋であった。草葉においた露が朝日を受け美しく輝く季節、土龍は地中にて棲息するので、出会いにくい生きものであるが、作者は土を掘りあげたその掌(て)を「薄薔薇(ばら)色」と詠み、「可愛らし」と感動し、「日輪に露に土龍は掌を合せ」とその愛らしい姿を描いている。

掲句、里芋の葉においた露が風にあおられ零れ落ちたと、連想できよう。
(文・岩城久治)

「きょうの心伝て」・7

髙橋 孝三 さん 元団体役員 (京都・西陣/78歳)

結び技

今年は祇園さんの鉾建てを久し振りに拝見することができた。荒縄で結わえる見事な技に、多くの観光客が感嘆の声をあげていた。

思えば、この結びという技は日本人が長年培ってきたわが国特有のものである。この春、京都産業大学が新学舎を「むすびわざ館」と名付けたということを新聞紙上で知って感銘を受けた。それによると産業はこの結び技を意味する言葉であるという。

江戸時代、京都の禄高(ろくだか)はわずか十万石ほどにすぎなかったのに、35万もの人口を支えてこられたのは、当時、京都が物づくりが盛んな産業都市であったからだと言われている。千年の都から生まれた数々の知恵が巧みな技となって、今、京都が誇る伝統産業として伝えられている。

職住混合の町家から創造される個性あふれる巧みな技は、京都の町が持つ大きな魅力の一つである。また京都が誇る力の源泉でもある。伝統産業から、物づくりの大切さをもっと学んでほしい。

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