日本人の忘れもの 第2部

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部

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第16回 10月14日掲載

もんもな京料理
単純に見える料理にも裏側にはそれだけ
周到な準備と高い技術が要求される。

栗栖 熊三郎

たん熊本家主人
栗栖 熊三郎 さん

くりす・くまさぶろう 1954年、京都市生まれ。たん熊本家主人として、割烹で始まった初代の精神に忠実な伝統料理の継承を目指す。京料理界において「料理の神様」と呼ばれた、祖父(初代熊三郎)が残した膨大な献立を元に、京料理の神髄を日々研究する。著書に「花宴 京料理たん熊本家」。

イメージ その1

祖父、初代熊三郎が、京料理たん熊を創業しましたのが昭和3(1928)年12月13日。今から80数年前のことになります。当時は、腕に自信のある料理人は、木屋町や先斗町のちょっとした軒先を借りて、数人がやっと座れるカウンター形式の店を作って、客と主人が向き合って料理を供するスタイルの店を始めたと聞いております。板前割烹(かっぽう)の最初です。

お客さまは西陣・室町の旦那衆が中心でございました。一枚檜(ひのき)のカウンターの前には「色書(いろが)き」と呼ばれるメニューが置かれ、鯛(たい)・鱧(はも)・伊勢海老(えび)など、その日仕入れた食材が書かれてあり、まず暖簾(のれん)をくぐって椅子席にお客さまが座られると、おしぼり・飲物・付出しが供され、お客さまは付出しを召し上がりながら、色書きをご覧になり、「今日はどんな食材が美味(うま)いか」など、主人との会話を楽しみ、注文した料理が主人の見事な庖丁捌(ほうちょうさば)きで刻々と出来上がるのを眺めて、一品一品味わえるという次第でした。

祖父は昭和の京料理界で神様と絶賛された名人

イメージ その2
素材を見極め、その良さを引き出す「もんもな料理」。「もんも」は「そのまんま」を意味する、ごまかしのきかない料理である。
左から、冬瓜の海老そぼろあん、子持鮎の煮浸し、すっぽん鍋。

これを料理屋では、「掛合(かけあい)仕事」と呼んでおりまして、料理人はお客様のご注文を伺ってから、一人一人のお口に合うように料理を調製する―完全オーダー制の形式でございました。常連の顧客さまの料理の好き嫌い、味付けの好みなど、色々な情報はすべて主人の脳裏にインプットされ、席に座られると、言われなくてもお好みの料理が出てくるといった機転が要求されました。庖丁捌きや味付けの上手さに加えて、お客さまを退屈させない話術も要求されましたし、また、女将であった祖母フミ子の接客術も大きな支えでした。

祖父は、昭和の京料理界におきまして、「京料理の神様」と絶賛されたほどの名料理人でしたので、料理に関する厳しい逸話は枚挙にいとまがありません。朝一番にひいた出汁(だし)が気に入らないと瓶(かめ)ごとひっくり返して、料理人はまた一から鰹(かつお)節を削ることからやり直しでした。また、庖丁の研ぎ方が悪いと、わざと庖丁の刃をたたいて研ぎ直せといった具合でした。こうした厳しい修行に三日も続かない弟子もおりました。あらゆる面で現在とは隔世の感がございます。

時代性を加味しながら祖父の料理を継承したい

イメージ その3
素材の良さを最大に引き出すことを信条とした、祖父、初代熊三郎。

祖父の京料理は一口に言って、「もんもな料理」と評されます。「もんも」とは「そのまんま」と理解していただければ結構かと存じます。素材をあまりいじらずに出来るだけ余計な手を加えず、素材の良さを最大に引き出すのが信条でございました。シンプル・イズ・ベスト。口で申すのは簡単ですが、これを上手にやろうと思えば、素材の良し悪しを見極めるすぐれた選択眼、そしてその素材を手際よく調理する熟練の庖丁捌き、自らがデザインした清水焼や漆器を料理と調和させるセンスなど、三拍子も四拍子も揃(そろ)いませんと決して「もんもな京料理」は成立しません。つまり、ごまかしのきかない料理でございます。一見単純に見える料理にも、裏側にはそれだけ周到な準備と高い技術が要求されるのです。

祖父が創業して80余年、私が継承して40年、外食産業は飛躍的な発展を遂げました。お客様の世代も変わり、料理屋の主人の世代も移り、今では様々な創作の料理芝居がご覧になれる時代になりました。目先の変わった仕事は一時的に流行っても長続きはしませんが、かと言って旧守ばかりでは陳腐になってしまいます。時代性を上手に加味しながら、祖父の「もんもな京料理」がいつまでも皆様に愛されますように、4代目となる長男とともに継承してゆかねばならないと家業に取り組んでおります毎日です。

きょうの季寄せ(十月)
鹿笛(ししぶえ)は 妻よぶよりも 哀也(あわれなり) 玄化

 一茶(いっさ)に「おれがふく笛と合はすや鹿の声」、鹿を誘い寄せる笛を猟師から一寸(ちょっと)借りて吹いてみたのであろう。芭蕉に鳴き声を把えて「びいと啼(なく)尻声悲し夜の鹿」とある。
玄化は、牡鹿が妻を求めて鳴く、その声よりも鹿笛の音色の方が哀切きわまりないものと感じ入ったのである。
(文・岩城久治)

「きょうの心伝て」・16

谷川 隆 さん 会社役員(京都市伏見区/70歳)

自考のススメ

小学校4年生の頃、担任の女性教諭に頰を叩(たた)かれたことがある。悪いことをして職員室に呼ばれた5人のうち、リーダー格であった私が叱責(しっせき)された時のことだ。責任逃れのつもりはなかったのだが、私がつい「あの人もやった」と言うと先生は「他人のことはどうでもいい。あなた自身がどうなのか」と怒った。その言葉は、今も胸に重く響いている。

60年後の現代。一億総評論家などといわれ、皆、自分を問う前に、他人を批評するようになってしまった。悲しいことである。

テレビやインターネットなどのメディアの登場により、私たちは「見る」だけで多くの情報を得られるようになった。しかしそれは一方で、私たちから「考えること」を奪うことになってはいまいか。古代ローマの政治家キケロは「生きることは、考えることだ」と言った。人生や仕事を豊かにし、志を抱かせてくれる。日本を担う次世代の若者たちには、ぜひ自分自身で考える人間になってほしい。決して巷(ちまた)に氾濫する情報を鵜呑(うの)みにするのではなく。

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