日本人の忘れもの 第2部

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部

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第37回 3月10日掲載

四季の変化
現代社会は四季の変化により得られた優しさ、豊かさ、
素晴らしさを粗末に扱い、忘れかけていないだろうか。

木下博夫さん

公益財団法人国立京都国際会館 館長
木下 博夫 さん

きのした・ひろお 1943年、静岡県生まれ。67年京都大卒業後、建設省(現、国土交通省)に入省し、地域計画、道路、河川、建設産業などの分野を担当。その間84年京都市計画局長、助役(現、副市長)。2000年国土庁事務次官を経て、05年阪神高速道路株社長に就任。12年3月から現職。

東日本大震災が発生して2年が経過する。復興の姿はまだ見えにくいが、日本人はこの震災によって「住民間の絆の大切さ」と「自然エネルギーの凄さ」を実感した。

過去の地震、火山、台風等の災害史を振り返ってみると、災害は忘れた頃に来る程度ではなく、まさに頻繁に歴史の中に刻みこまれている。第2次大戦後、昭和20年代は毎年のように台風が襲来し、年間一千人を超える死者が発生していた。火山噴火も全国各地で経験している。

地球の息づかいは厳しく多くの試練を与えてきた

イメージ その1
日本の春夏秋冬の季節の変化は、他の諸外国では経験できない豊かさを日常生活において味わわせてくれている。

このように、地球の息づかいは大変厳しいものであり、人類に多くの試練を与えてきた。

しかし一方で、自然がつくりだす山川の存在、草花の営みは人間では作れない景観、光景を提供してくれている。特に私たち日本人にとって、毎年繰り返す春夏秋冬の季節の変化は、他の諸外国では経験できない豊かさを日常生活において味わわせてくれている。

そもそも人間の考え方、生活様式は自分の住んでいる風土、環境と切っても切れない関係が強いことは、改めて確認するまでもない。

秋になれば紅葉した木々の落葉を愛でつつ、掃き片付ける生活スタイルは「かどはき」として地域の連繋に貢献し、夏には打ち水や川床によってさわやかな涼をとる知恵を育て、たらいにはった水が太陽エネルギーの恩恵によって心地良く体を清める温水を提供してきた。

昨今評価を高めている町家の住宅様式は、決して快適さだけを追うのではなく、分をわきまえて町に住む人達がお互いに譲り合いながら本来の品格を堅持した生活を実現させた結果とみてよいのではないか。

また、四季の変化は俳句や短歌、詩の分野で情緒ある作品を数多く作る環境も与えてきてくれた。童謡の世界でも今やなくなりつつある日本の原風景を歌詞の上ではしっかりと残してくれる。

日本人の持つ感性は自然の中で培われてきた

イメージ その2
イメージ その3

日本人の持つ国民性、感性は、こうした山川、海、平地が織りなす環境の中での生活によって永年培われてきたのである。

一方で現代の食生活においては、飽食により無駄な食材食料が使われ、しかも季節感を失わせるような野菜、果物が市場に出回っている。また食材の持つ真の味が忘れられ画一化したメニューが支配して、味わいのある食文化の素晴らしさが遠のいているのも現状である。

現代社会は、温帯モンスーン地帯にあって、四季の繊細な変化の中に住んでいることにより得られた優しさ、豊かさ、素晴らしさを粗末に扱い、忘れかけているのではないだろうか。

人間が本来持つ心の豊かさを育ててくれる季節の変化を、しっかりと受け入れるスタイルを取り戻すことによって、心、社会の安定をぜひ実現してほしい。

そして一つ提案しておきたいことがある。それは、国民総出で、年間数日でよいからボランティア休暇を取り、山林の下刈り、河川敷の清掃、堆肥づくりによる、国土の肥沃化などの労働奉仕を義務化する法制化を図ってはどうか。こうした国民的作業が、生き生きとした四季の変化を実感することを取り戻す一助になると考える。私も推進委員会の特別委員の一人として微力ながら進めている「古典の日」により蘇(よみがえ)る知的探索とともに。

きょうの季寄せ(三月)
寺の春 鸚鵡(おうむ)人語に 熟しけり 相島虚吼(きょこう)

「鸚鵡返し」という言い方がある通り、鸚鵡がどの程度教えられた文言を記憶し、不意に自在に発話するのか、知らないけれども、少なくとも、その場で話しかけられれば、そっくりそのまま返してくる。

「熟しけり」は習熟していることながら、とりわけ寺院で飼われていることを思うと、お経の一説などと連想すると楽しくなる。
(文・岩城久治)

「きょうの心 伝て」・37

芝田 美津子 さん (京都府八幡市/78歳)

お礼と感謝

お風呂の部品をなくした。直接注文すれば済んだのに、ついお風呂を作ってくれた当時の業者さんにお願いすることに。早速似たものを量販店で買って、取り付けに来てくれた。細かい作業で四苦八苦し、結局その市販品は壊れてしまったが、手っ取り早く安価にとの計らいから長時間の手間を買ってでてくれ、開けることのない内部の汚れまでふき取ってくれた。「ごめんなさい、ごめんなさい」と言う私に、「そんなに何回も謝らないでくださいよ」という業者さんのひと言。そう言われてはじめて、私は無意識にこの言葉を発していることに気付いた。

在職中は、終日「ありがとうございます」「すみません」「申し訳ございません」が習慣になっていた。こちらが悪いわけではなくとも、相手に不愉快な思いをさせず納得してもらう、お礼を込めた配慮だったと思う。

後日、新しい部品の代金の支払い時にまた、「ごめんなさい」の出番になりそうだ。お礼の意味を込めて……。

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