日本人の忘れもの 第2部

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部

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第44回 4月28日掲載

いけばなの心
成すべきことを真剣に考え、
変えるべきことは変える時がきている。

桑原仙溪さん

桑原専慶流家元
桑原 仙溪 さん

くわはら・せんけい 1961年、大阪市生まれ。80年、桑原専慶流に入門。84年、同志社大工学部卒業。同年、同流14世家元長女櫻子と結婚、家元を補佐しながら教授活動を開始。2004年、15世家元襲名。日本いけばな芸術協会理事、京都いけばな協会副会長。

結婚を決めた相手は、江戸時代から続く花道家元の娘であった。それが私がいけばなを習うきっかけとなり、心の中の美を形にする父と、おおらかに花と向き合う母と、もてなしの気持ちを伝える妻とともに、花の道を歩んできた。

いけばなとは。シンプルに言えば、地に根を張って立つ木や草花から一部を切り取って水を入れた器にいけることなのだが、それらが「いい表情を見せてくれる」には、それなりの経験の積み重ねが必要となる。ところが一年に一度しかいけられないような花材もあるうえに、何十何百という種類の植物を相手にするので生涯修業は続く。また花材のとり合わせ、花器の選択によって良くもなり悪くもなるので、自分自身の美の感覚を磨くことも大切。古典様式の「立花」には九つの役枝があって立てるのに一日かかったりする。花道は奥が深い。

もっと気楽に身近に花をいけてほしい

イメージ その1
古典様式の「立花」には九つの役枝がある。松一色立花/桑原仙渓  写真=宇佐美宏

しかし、その半面もっと気楽に、身近に花をいけてほしいとも強く願う。心のこもったいけばなは、人の心を和ませる。花がいけてあると自分もまわりの人もほっとする。部屋の空気ががらりと変わる。そんないけばなの力を知ってほしいし、もっと暮らしに活用してほしい。

私が花をいけるとき「自然の息吹を敬う」気持ちを大事にしている。生き生きとした花や味わい深い枝は、大地・風雨・太陽が育み、そこに人の手が加わって私たちの手元に届く。虫や鳥も関わっている。そんな花に、新たな命を吹き込んで「生かす」のがいけばなである。

花の茎を水の中で切ると、ぐぐっと水を吸い上げる。葉に霧を吹いて手で広げるとしゃんとする。束をほどいて枝を本来の姿にもどすと気持ちがいい。若松の幹を手で磨き古い葉を取り去ると輝いてくる。「生かす」ために花や木に触れるうちに自然と心を通わせているのに気付く。いけばなを習って良かったと思う瞬間である。花を習っていなかったら、松の枯葉を掃除したあとの清々(すがすが)しさを味わうこともなかっただろう。

私たちは自然に生かされ、豊かな心を養ってきた

イメージ その2
ドイツ・テテロー市775年記念祭典にて花をいける家元と桑原櫻子副家元。
(2010年5月/聖ペテロ・パウロ教会)
イメージ その3
花に新たな命を吹き込み「生かす」ことを考え、構想する家元。
(2011年11月/流展)

いけばなに限らず、多くの芸術・文化は自然との関わりの中で生まれ育まれてきた。私たちは自然に生かされ、豊かな心を養ってきたのだ。自然の恵みを受けて生かされていることに感謝し、先人が培ってきた自然との関わり方を「学び磨いて生かし伝える」ことが大事だと思う。

2年前の大震災で、自分の成すべきことを、あらためて考えた人は多かった。福島の原発事故によって原子力の恐ろしさに気付いた人も多かったはずである。安易に電気を得る代償に美しい豊かな自然との関わりが断ち切られてしまったのだ。放射能による内部被曝(ひばく)はこれからどんな影響を及ぼすか知れない。放射性廃棄物の処理もままならない。このことに私たちはもっと絶望すべきだ。そして、成すべきことを真剣に考え、変えるべきことは変える時がきている。子どもたちの未来のために。人も含めた美しい自然を損なわないために。

きょうの季寄せ(四月)
指入れて さざゑの殻を すてにけり 渡辺白泉

栄螺(さざえ)の調理法はそのまま焼いたり、腸(わた)を取り除き、身をいくつかに切り分けて殻に入れ戻す、少し割り醤油(しょうゆ)を注いで焼いたり、いわゆる壺(つぼ)焼き、刺し身、鮨(すし)種にもよい。

殻にしろ栄螺はむしろ握る方が持ちやすいように思うのだが、だから余程(よほど)指をさし入れて持っている光景が珍しかったのであろう、詩因となった。
(文・岩城久治)

「きょうの心 伝て」・44

池田 裕 さん 主婦(京都市西京区/47歳)

感謝の念

「風の中を自由に歩けるとか、はっきりした声で何時間でも話ができるとか、(中略)それができない者から見れば、神の業にも等しいものです。そんなことは、もう人間の当然の権利だなどというような考えでは、……。」

これは、作家の宮沢賢治が農学校の教え子に宛てた手紙の一部分です。日常生活の中で、目が見えて、話せて、歩けて、走れる…。そんな当り前の事柄は、この文を読めば、実はとても尊いことなのだと、ハッと気付かされます。

若い頃は、さまざまな行動がスムーズにできたりしますが、年を経るたびに、視力が衰え、筋力がなくなり、できなくなることが増えていきます。みんなが平等に老いていくのです。だからこそ、普段から当り前と思わず「神の業にも等しいのだから」と慎重に、そして感謝の念を持って行動していきたいものです。

そう思いながらも、ついうっかり忘れてしまうのが人間ですが……。

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