日本人の忘れもの 第2部

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部

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第45回 5月5日掲載 対談

不易流行
伝統を守りつつ本業の技を磨く日本式経営を

稲地利彦さん

株式会社京都センチュリーホテル 代表取締役社長
稲地 利彦 さん

いなち・としひこ 1958(昭和33)年、大阪市生まれ。慶應義塾大商学部卒。82年、京阪電気鉄道に入社。経営統括室部長、事業統括室部長を経て、2011年7月、株式会社京都センチュリーホテル社長に就任。「感動のおもてなし」により“京都のホテルの星”となることを目指す。

過去・現在・未来の流れを見渡す視点を持つ

田中恆清さん

石清水八幡宮宮司
田中 恆清 さん

たなか・つねきよ 1944(昭和19)年、京都府生まれ。69年、國學院大神道学専攻科修了。平安神宮権禰宜、石清水八幡宮権禰宜・禰宜・権宮司を経て、2001年、石清水八幡宮宮司に就任。02年、京都府神社庁長、04年、神社本庁副総長を務め、10年、神社本庁総長に就任。

イメージ その1
昭和天皇即位式に当たり、慶祝事業の一環として京都商工会議所主導で京都駅前に設立された、京都センチュリーホテルの前身である京都ステーションホテル(1928年創業当時)。

稲地◉当ホテルは、1928(昭和3)年に京都で行われた昭和天皇即位式に当たって、慶祝事業の一環として京都商工会議所主導で設立された京都ステーションホテルが発祥であり、本年で創立85周年を迎えました。

「温故知新」の言葉が示すよう、創業者たちがホテル建設に込めた情熱に思いを致し、常に新しいサービスを創造、永続性のある企業として次世代にバトンタッチすることが私の責務だと考え、2年前の社長就任以来、ともすれば見過ごされがちになる当ホテルの歴史や地域の沿革を掘り起こそうと力を注いでいます。

平安時代初めから現在まで長い伝統を持ち、深い信仰を集めている石清水八幡宮の田中宮司に、組織永続の眼目は何か、アドバイスをいただければ幸いです。

田中◉京都センチュリーホテルはJR京都駅前という便利な立地に加え、ヨーロッパ調の落ち着いた雰囲気が心地よく、料理やサービスも洗練されているので、私は京都市内に出るたびに利用させてもらっています。

石清水八幡宮は1150年の歴史があるとはいえ、藤森神社(伏見区)の創建は約1800年前だと伝えられていますから、私もあまり大きなことは言えないのですが、私ども神社では、伝統の根幹部分をかたくなに守りつつ、常に時代の要望に応えています。これが永続性のポイントではないでしょうか。参拝者への便宜を図るため、山麓から本宮を結ぶケーブルカーを敷いたのも大正15年と、時代に先駆けていました。この男山ケーブルは、京都センチュリーホテルの親会社である京阪電気鉄道が運営されているという点でもご縁がありますね。

稲地◉伝統の根幹部分は、企業経営でいえば本業ですね。最近では米国式の経営がもてはやされ、利益追求のみが企業に課せられた命題であるかのような風潮が経済社会で横行しています。企業が投機・マネーゲームの渦に巻き込まれ金融資本主義的な目先の利益を優先し、本業をおろそかにすると、長続きしないように思います。永続的な発展のためには、やはり伝統や地域との関わりを大切にしながら本業の技を磨いていく日本式経営を、経済界全体が見直すべき時期かもしれませんね。

田中◉私が広報本部長を務める伊勢神宮の式年遷宮は、20年ごとに社殿を建て替えてご神霊を遷(うつ)し、御装束や神宝なども、全て新調するという伝統神事で、毎回、古来の正式を重んじて精密に復元されています。今年は式年遷宮の年に当たり、10月に斎行される予定です。

20年という歳月は、宮大工や職人たちが生涯で2、3度の遷宮を経験できる間隔であり、10代の見習いだった職人は30代のベテランとして活躍し、50代の後見人になって指導することで、技術が綿々と引き継がれるわけです。式年遷宮は、建物などを新調して変わらぬ姿を維持することで永遠の繁栄を願うとともに、技術を次世代に伝承する役割もあるのです。

稲地◉式年遷宮は、常に新しくあり続ける「常若(とこわか)」の精神を持ち、伝統や技術を未来へつなぐことによって、永続性が支えられているのですね。松尾芭蕉の俳諧理念として伝えられる「不易流行」という言葉があり、変わらない本質と新しい変化は相反するようで表裏一体であるという解釈ですが、これにも通じるものを感じます。

私たちは数多くの過去や歴史の蓄積の上に生きていますから、現代人が今をどう生きるかによって、未来にも大きな影響を与えます。次の世代に素晴らしい伝統を引き継いでいこうという意志を込め、昨春、「世」の文字をモチーフにして、当ホテルの新社章を制定しました。

田中◉稲地さんのお話を聞き、昔からよく言われる「過去ばかり語るのは喜劇であり、過去を語らずして未来を語るのは悲劇である」という言葉が浮かびました。永続的な発展のためには、自分が生きている現世代だけを考えるのではなく、時代を大きな潮流と捉え、過去・現在・未来の流れを見渡す視点を持つことが大切だと思います。

神社は、明治維新の改革で合併が進み減少しましたが、現在でも約8万5千社が残っています。地域の文化に深く根差し、人々の日常生活とともに培われてきた神社の信仰やお祭りは、もはや日本人のDNAといえるでしょう。地元の歴史や自然、そして人の営みと共存してきたからこそ、こんにちまで多くの神社が生き残り、支えられてきたのだと思います。いつの時代も願いや祈りは絶えることがありませんが、願うことに終始するのではなく、自然への畏敬や祖先への感謝の念も忘れることなく、未来に継承していきたいものですね。

きょうの季寄せ(五月)
ひとの 瞳の中の 蟻蟻蟻蟻蟻 富澤赤黄男

有季定型、格の正しい俳句史に抗(あらが)うように表現叙法を揺さぶる試みが一部ある。赤黄男は「蟻(あり)の列 わたしは急がねばならぬ」とも詠むが、「蛾の青さ わたしは睡(ねむ)らねばならぬ」の自己の先蹤(せんしょう)叙法に通じる。

掲句の「蟻」は訓読みか、音訓みか。列なしているか、群がっているか。わたくしはギと読み、蟻が眼中にひしめき音たてている様と見たくなる。
(文・岩城久治)

「きょうの心伝て」・45

景山 祐子 さん 主婦(京都市中京区/49歳)

祖父の残した言葉

小学校低学年の頃、実家は花屋をしていて、繁忙期であるお盆、春、秋のお彼岸、年の瀬には手伝いに駆り出された。大通りに面しているうちの店の前を同級生が通るたびに、花のうしろに隠れたあの頃が、懐かしい。

祖父は、華道と茶道の名主であった父をもつ、明治38年生まれの昔気質の人であった。花を生ける祖父の隣に座り、次に使うだろうと思われる花を選ぶのは、当時の私には難しすぎた。困っている私に、「かゆいところに手のとどく人にならなあかんで」と言われた。その言葉が、40年たった今も心の奥深いところでよみがえる。

かゆいところに手が届き、人の考えていることのひとつ先を読むということは、年を重ねるごとに、言葉のもつ深い意味を知るほどに、たやすいことではないと感じる。

子どもたちには、理解できるようにゆっくりと、祖父の心を伝えて行くことが、私の使命であると思う。

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