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次郎も住んだ「白洲屋敷」、京都・東福寺塔頭に移築活用

正覚庵の本堂部分。屋久杉の一枚板を使った天井に格子の装飾が施されている
正覚庵の本堂部分。屋久杉の一枚板を使った天井に格子の装飾が施されている

 実業家・白洲次郎の父で明治時代に貿易商として財をなした白洲文平(1869~1935年)の和風邸宅「白洲屋敷」が、京都市東山区の東福寺塔頭・正覚庵の本堂として活用されていることが分かった。1974(昭和49)年に兵庫県伊丹市から移築され、「貴重な近代和風建築」として京都府が過去に調査を行ったが、普段公開を行っていないため、調査報告書でも所在の寺院名は伏せられてきた。境内に樹木葬地が開苑したことに伴い、正覚庵が公表した。

 府の調査報告書(2009年)によると、白洲屋敷は“普請道楽家”として知られた文平が大正末期に約4万坪の敷地に建てた邸宅。のちに豊富な国際経験から吉田茂元首相を支えた次郎も一時住んだとされる。文平が経営する綿貿易会社「白洲商店」の倒産で昭和初期に人手に渡り、のちに正覚庵に移築された。

 正覚庵の前住職、平住徹洲さん(62)は「祖父の代で本堂の改築を検討していた頃、ちょうど解体された屋敷が売りに出されていたと聞いた」と話す。

 平屋の約285平方メートルは本堂と座敷棟、茶室で構成されている。茶室は、もともと玄関だった部分を移築に際して改築した。座敷棟の東北隅には三層構造の楼閣があり、現在は内部が閉ざされているが、伊丹時代は暖炉の煙突として使われたとされている。

 コンクリートの基礎に杉丸太を井桁状に載せて土台にするなど随所に異例の手法が取られている。京都工芸繊維大の矢ケ崎善太郎准教授(日本建築史)は「様式にとらわれない自由な発想と確かな技術が発揮されている」と評価する。

 白洲屋敷は、今夏に境内で行われた樹木葬の説明会で出席者に公開された。平住智潤住職(38)は「樹木葬地から外観が見えるため公表を決めた」と話した。正覚庵は基本的に非公開だが、団体やツアー客は事前に予約すれば拝観できる。毎年11月23日の筆供養の際に見学できる。

【 2018年11月12日 09時10分 】

ニュース写真

  • 正覚庵の本堂部分。屋久杉の一枚板を使った天井に格子の装飾が施されている
  • 正覚庵の本堂などとして活用されている白洲屋敷の外観。右端に楼閣がある(京都市東山区)
  • 正覚庵の土台部分。基礎の上に角材ではなく杉丸太が井桁状に配置されている
岸田繁 交響曲第一番・第二番 連続演奏会 2019.10.5

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