日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーンプロジェクト

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日本人の忘れもの記念フォーラムin京都
京都に残る、京都が残す

明治以降、日本人が近代化の中で置き去りにしてきたものを探る「日本人の忘れもの」記念フォーラムin京都(主催、同キャンペーン推進委員会、京都新聞社)が平成23年9月2日、京都市中京区の京都商工会議所講堂で開かれた。京都国際マンガミュージアム館長の養老孟司さんの基調講演のあと、京都工芸繊維大名誉教授の中村昌生さん、天龍寺国際禅堂師家の安永祖堂さん、華道家元池坊次期家元の池坊由紀さんの3人が、日本人のよき価値観を京都から発信する必要性について議論した。コーディネーターは京都新聞総合研究所特別理事の吉澤健吉がつとめた。

基調講演
京都国際マンガミュージアム館長 養老孟司氏

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京の「人を見る」知恵

 江戸時代末期、日本の人口は特に東北地方を中心とした凶作が続発し、食料が不足していたため、約3千万人以上にはならず、明治維新、第2次世界大戦を経て現在では約1億2千万人と、140年余りの期間で4倍に増加しました。要因は、開国による貿易や、石炭・石油によるエネルギーの大量利用で国内生産が活発化し、食料を中心とした物資が豊富になったことにあります。

 エネルギー利用には功罪両面があります。功の面では、驚異的と世界各国から見られている戦後の経済成長でありましょう。一方で、人力に、エネルギーという「げた」を履かせたがために、人間そのものに目が向かなくなったことは、お金では代えられない罪ではないかと私は考えます。

 人力への依存度が高い農林水産業など1次産業が大きく衰退した半面、エネルギーを大量消費して多くのモノやサービスを提供できる2次、3次産業が高く評価される社会では、一人の人間の存在価値は、ほとんど無視されてしまっています。

 点数で測る評価、能力主義は、官僚的な手続きだけで人の力を見るという、実に簡便な方法です。試験の点数だけで個人を評価する教育も同様です。これでは個人の総体を観察し、優れた部分を伸ばす対応は不可能です。

 江戸時代中期、徳川将軍家宣、家継の補佐役として活躍した新井白石は、現在の群馬県太田市で生まれています。幼いころから学問に優れた逸材ということで、京都ではおなじみの、高瀬川を開いた豪商角倉了以から婿養子にと申し込まれたそうです。京都と群馬、これほど距離が離れているにもかかわらず、人そのものを見るネットワークが江戸時代にはあったということです。

 京都は、日本の他の大都市と大きな違いがあります。伝統文化は当然のことですが、例えば、祇園祭に見られるように、町衆による共同体精神が根強く残っている点です。いわば山鉾町という「ムラ」が残っている希少な存在です。それだけに、外から入ってきた人間に対する目、評価も確かです。日本人の忘れものの大きな一つ、人を見る目が、京都には強く息づいています。

 また京都人は、世間向けの建前と本音が、はっきり分かれていることが特徴とされています。建前がしっかりしているから、いざというときに個人の本音も強く出せます。 建前と本音の差を自分自身で確かに理解していて、使い分ける分には何ら問題はないでしょう。ところが最近では、区別ができなくなって、本音が伝えられない、本物が見えなくなっている人が多くなっていることも、危惧(きぐ)すべき点です。

パネルディスカッション

「自然と一体」失って… 中村氏

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 ―明治以降、日本人はどんな精神的なものを忘れてきたと思いますか。

 中村 西洋の建築の導入による近代化が進んで、今や住宅も、科学技術を駆使して機密性を高め、室内環境まで人工的に操作できるようになりました。競って高さを誇る傾向が強く、いわば自然を制圧する人間中心主義の工法で建てられています。

 京都の町家に見られるように、日本の伝統的木造住宅は木と土の性質を知り尽くした職人さんたちが、昔から蓄積した経験の科学が生んだ手法を駆使してつくられており、建物自体が自然の大気の中で呼吸している点が、西洋の建築と大きく違うところでした。

 日本では昔から、大地に身を委ね、自然の恩恵を活用し、その脅威からも身を守るという、自然と一体となった生活を中心に独自の文化をはぐくんできました。ところが明治時代以降、近代化は、和魂洋才から洋魂洋才の文明開化へ発展し、現在では都市から農村にまで自然に調和しない建築物が増え続けています。今回の大震災は、そうした日本人に対する自然からの警告ではないかと思えてなりません。

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 池坊 家が呼吸するというお話は、いけばなにも通じるところがあります。草花という自然を生活の中に取り入れ、心を和ませ、人と人の関係を円滑にするという文化として生活に根ざしてきました。

 「いけばな」という言葉は、飾り花とは違う意味合いを含んでいます。生きている草花、自然の命をあるがままあらゆる状態に「輝き」を見いだし、自分よりはるかに大きな、あるいは心を寄せている存在に対してお供えし、お互いに響きあう営みです。

 池坊は、中興の祖 池坊専慶の名が『碧山日録』に記されてから今年で550年を迎えます。形の残らないいけばなが続いてきたのは、そこに心があったからではないでしょうか。

文化は見えない部分に 池坊氏

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 安永 中村さんのご専門である茶室、池坊さんの華道、どちらも禅と深いかかわりを持っているように、日本文化と仏教とは絶妙のバランス感覚を保ちつつ、こんにちに至っています。

 今年の五山の送り火では、被災地のマツを使うかどうかで抗議の電話が京都市に殺到し、行政が混乱したと聞いています。送り火は、迎え火で招いたご先祖の霊を再び送り帰すという民間の宗教行為で、行政が主催する文化行事ではありません。宗教と文化との境目、バランスを理解できない人が多くなったことは、宗教者の一人として残念に感じました。

 伝統文化の知識は、教えれば次世代に教えられますが、知恵は伝えられません。禅の世界では師弟の関係は絶対で、師が白を黒と言えば、黒ですと答えなくてはいけません。ところが、いったん修行に入りますと、師と弟子は仇(かたき)同士に変化します。師は弟子を徹底的に鍛え、弟子は師を乗り越えようと必死に修行します。そのプロセスを経て弟子は自分自身で知恵に目覚めるのです。

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 ―たしかに、京都には深い精神性を秘めた価値観が多く残っていますね。

 池坊 いけばなにしてもお茶にしても、見えない部分に文化の本質があるのではないでしょうか。コスモスを中心にしたいけばながあるとします。見た方が「美しいね」と言ってくださるだけでは、花の観賞にしか過ぎません。私たちはいけたコスモスとコスモスとの間に流れている秋の風や、またそこにさまざまな思いを込めて作品を表現しています。現代社会では、見えないものを感じとる心が失われつつあるのではないでしょうか。

「小欲知足」「大欲清浄」 安永氏

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 中村 茶室建築から生まれた床の間は、私たちの暮らしに見えない潜在的な役割を果たしています。床の間は、掛け軸やお花、美術品を飾り、それを仲立ちにして、一座に集う人たちが平等につながり、和の雰囲気を醸し出す要の存在でした。京都ではまだ床の間のある家が普通ですが、東京ではお茶を習っている人でさえ、家に床の間のある部屋がないケースが多いと聞き及びます。大切な和の精神も失われつつあるようです。

 安永 釈迦(しゃか)さまは、「少欲知足」「大欲清浄」という、非常に分かりやすい言葉を残してくれています。欲の本質をよくよく見極めれば、結局むなしいものであるから、足りることを知らなければならない。大きな志を持つことはいいことだが、清いものでなくてはならない。こうした心を持つ人も少なくなったのではないでしょうか。

 ―京都のよき伝統を現代に生かすためにどんな活動をしていますか。

 中村 住まいの伝統の未来を憂(うれ)うる東京在住の心ある人たちと、「伝統を未来につなげる会」を設立しました。日本固有の自然観と美意識にはぐくまれた日本の森林と伝統建築文化を未来につなげるためには、幅広い分野の支援による市民運動が必要です。私たちの活動を国民運動へと拡大、発展させることが、日本人の忘れものを次世代に伝え続ける大黒柱になると信じています。

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 池坊 いけばなだけでなく、茶道家、工芸家など、多彩な分野の方たちが垣根を越えて集う「NPO法人京都伝統フォーラム」を立ち上げています。京都が古くから大切にしてきた価値観や生活スタイルを世界に発信し、伝統文化になじみのない方々に伝統のよさを知ってもらおうと啓発活動をしています。

 安永 京都の仏教系、キリスト教系7大学による「京都・宗教系大学院連合」を結成、単位互換制を導入、宗教全般を学生たちに知ってもらう活動をしています。東京でも同様の取り組みをしようとしましたが、都市規模が大きすぎて無理だったようです。京都の適度な都市規模と、相国寺(上京区)の旧境内にキリスト教系の同志社大学が立地するという懐の深さがあるからこそ実現した連合です。

 ―京都に残る伝統の心の良さを私たち京都人ももっと自覚して、後世に引き継いでいく必要があると再確認しました。(文中敬称略)

たかはし・えいいち

  • コーディネーター
  • 京都新聞総合研究所特別理事

吉澤 健吉 さん

京都商工会議所会頭・立石義雄

 京都は昔からの人々の生き方、暮らし方、街のあり方の中から芸術、文化、産業あらゆる分野で、伝統を守りながら時代の先端を採り入れ、活性化してきた街です。

 しかし、日本は明治以来、「坂の上の雲」を追いかけながら、和魂洋才をモットーに、富国強兵、殖産産業で世界の一等国に上り詰め、第2次世界大戦の終戦後も灰じんの中から高度経済成長で奇跡の復興をとげましたが、一方で、日本人が大切にしてきた古きよき心は置き去りにしてしまったのも事実です。

 そういった日本人の忘れかけた心は、自然と共生しながら快適に暮らすというこれからの社会の中で、将来の展望を描けないでいる世界の人々にとっても、人としての生き方、コミュニティーのあり方を示唆してくれるものではないかと思うのです。

 幸いにも私たちの暮らす京都には、まだ日本の美徳が数多く残されています。質素な暮らしの中でも自然を愛でる心、お隣さんとのきずなを大切にする心、神仏を拝む心。

 今回、未曾有の東日本大震災で日本人が心の大切さに気づいた今こそ、私たち京都が長年培ってきた心を世界に発信するときではないかと思います。

京都新聞社会長兼社長・白石方一

 日本は明治維新以降、近代化を推進し、戦後は世界第2位の経済大国にまで発展を遂げました。

 しかし足元を見る余裕もなく、ひたすら前を向いて走ってきた結果、不祥事や残酷な事件など、社会のひずみを象徴するような現象が多発するようになりました。そのような中で、3月11日に発生した東日本大震災の衝撃は、私たちの生き方、価値観そのものを考え直さざるを得ない状況を招きました。

 戦後、私たちが置き忘れてきたものは何か。それは生きとし生けるものすべてに命を見いだす「草木国土悉皆成仏」の思想や、他人への思いやり、人と人とのきずなといったものではないでしょうか。

 京都は1200年の歴史に裏打ちされた生活の知恵を昇華させ、文化面での創造性を発揮し、さまざまな分野で日本の伝統の心が、いまなお残る都市です。社会が混迷する今日、京都から温故知新の知恵を、日本中、あるいは世界中に発信する意義は、ますます高まっていると確信しております。

 京都新聞では今年7月から1年間の予定で、毎週日曜日の朝刊紙面で、各界のご協力をえて「日本人の忘れものキャンペーン」を展開しております。今回の記念フォーラムを機会に、ぜひお読みいただくようお願い致します。

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