日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーンプロジェクト

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リレーメッセージアーカイブ

2012年 6月掲載

京都橘大名誉教授 田端 泰子さん

■慈愛と尊敬

 一昔前までは「お父さんのような立派な社会人になりたい」とか「お母さんのようなやさしい母親になりたい」という子供がたくさんいた。しかし最近の子供は自分の力で大きくなったかのように錯覚し、親は子供に確かな将来像を与えにくくなったため、親子関係はギスギスしたものになっている。

 歴史を振り返ると、武力が重視された鎌倉時代でさえ、父母や祖父母は子供たちを命がけで守り育てた。いっぽう、子供が最も尊敬したのは父母であり、親を「教令者(きょうれいしゃ)(教え導く者)」として敬い、家業や財産を譲与してくれる保護者として敬愛した。各家での親子の絆を核に、一族の結束が守られたのであり、親の慈愛と子の尊敬によって成り立っていたのが、日本の中世社会だったといえる。

 鎌倉幕府は、親は「教令者」であるからと、子が実の親を裁判の場に引き出し、親と譲与財産や所領をめぐって争うことには、子に対し厳罰を課すことで対処している。敬うという言葉にも、畏敬・尊敬から形式的な拝啓まで多くの偏差がある。物資が豊かでない時代に、かえって日本人の心や本質が顕現するのではないだろうか。

株式会社井澤屋 井澤 國子さん

■美しい日本語

 私は鹿児島の出身ですが、子供の時に標準語に憧れた時期がありました。ラジオから流れるアナウンサーの話し方が、本当に美しく、声に出して真似(まね)をしたものです。子供ごころに、言葉の力に魅せられたのでしょう。今も日々店に立ち、お客様と接しておりますと、言葉の持つ不思議な力を実感しております。

 良い言葉は人として成長できるし、相手との絆や友情がいっそう深まることもあると思います。

 ところが、最近、気になることがあります。テレビなどを見ていますと、ご挨拶(あいさつ)、お礼の仕方、敬語の使い方が、なにか置き去りにされているようで寂しくなります。その時々で正しく、美しい日本語を話せる力を身に付けると、言葉は輝きを増します。相手を思う、大切にする言葉は、自己を最大限に表現することとも繋(つな)がります。その意味では、京ことばは尊重されているように感じます。

 アナウンサーを真似した頃から随分と時間がたちましたが、もう一度、美しい日本語を学び直したいと思っております。

宝鏡寺 門跡 田中 恵厚さん

■審美眼

 宝鏡寺では人形展を始めて五十余年になります。日本が高度経済成長期に入り、社会環境が大きく変わりつつある頃、子供たちが古き良きお人形に接することが少なくなったことを聞かれた先々代門跡が、昭和三十二年の秋より年二回春と秋、宝鏡寺所持のお人形を中心に公開することを決められました。

 お人形に限らず、卓越した技術の後継者不足はよく耳にいたしますが寂しいことです。さまざまな伝統文化は長い時間をかけて練られて残ってきたものであり、その力はわれわれに感動や畏敬の念をもたらし、またときとして人々を退廃や争いから遠ざけ、心の安らぎへと導くものではないかと信じております。

 ところが近頃では不景気も手伝ってか、奇を衒(てら)うもの、安易なものが横行するように思われます。洋の東西を問わず、人々に長く愛されているものに触れることが本質を見極め審美眼を育むことにつながるのではないでしょうか。

 グローバル化が進む中、日本人の誇れる審美眼を持ちたいものです。

映画作家 河瀬 直美さん

■交わる場所

 「玄牝(げんぴん)」という映画を創ったとき、このタイトルの言葉の意味を知った。2500年前に言われた言葉だと知ったとき、こんなに昔の人が子孫に遺(のこ)したかったものの深さを思った。「谷神は死せず。これを玄牝という」。日本語に訳するとそういったことになるのだそうだが、この「谷神」とは谷の神。つまり川と川が交わるところの意味もあるらしく、ひとしく古代の人々はこういった場所に神聖なものを置いた。それらは信仰を伴って祈りの場所として人々の心の支えとなる。京都の上賀茂神社もそういえば明神川と御物忌川の交わる場所に鎮座されている。なぜそうして交わる場所が神聖なのか。この「玄牝」という言葉を言った老子は説く。交わる場所から命が生み出され、生み出された命は絶えず、その流れは永遠だ、と。「谷神」とは女性性器を意味し子宮はその命を宿し、この世にかけがえのないそれを生み出す。本当に大切な人をそこに迎え、歓喜の声を発する女。わたしという一つの命のことしか考えないのではなく、この命は前から今へ、今から先へとつながってゆくのだということ忘れずにいる場所が古都にはある。